蓮池薫さん「北」の暮らし語る…読売新聞単独インタビュー北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(51)が読売新聞の単独インタビューに答え、帰国後7年で初めて、拉致された時の状況や北朝鮮での暮らしぶりを語った。言葉を選ぶように振り返った「北」での生活は、家族のために望郷の思いも封印、ただ、必死に生きたというものだった。 2002年10月15日、一時帰国の形で24年ぶりに故国の地を踏んだ夜、東京・赤坂のホテルから見た景色が今も胸に残るという。マスコミのカメラを避けるため閉じていたカーテンを、深夜、妻の祐木子さん(53)とそっと開けた。眼前には、輝くばかりの夜景。前日に見た平壌の暗い夜との落差に「拉致の記憶がよみがえった」。 それは突然だった。祐木子さんと新潟・柏崎の海岸を歩いていた1978年7月31日夜。男たちに袋に押し込まれ、ボートで連れ去られた。殴られ腫れた目に柏崎の街の灯がにじんだ。「優しい光でした。が、2日後に着いた北朝鮮で見たのは、アパートの窓からこぼれる裸電球の暗い光。その差に、ああ、全く違う所に連れて来られたんだと」 「日本に帰りたい」という思いは、80年に結婚、やがて2人の子供が生まれたのを機に消し去った。「子供が少しでもまともに暮らせるようにするので精いっぱい」だったという。 とはいえ、時には心が揺れた。韓国人歌手キム・ヨンジャさんが平壌で朝鮮半島の統一を祈る「イムジン河」を歌った時のこと。鳥ならば空を飛び、南北を分断する川を越えられるのに、という歌詞に、望郷の念で涙腺がゆるんだ。自分もギターを手に、何度も「イムジン河」を口ずさんでは心を慰めた。「でも(北朝鮮の人は)南北の統一を願っているとしか思わなかったでしょう」 誰にも理解してもらえぬ孤独――。平壌で公衆電話を見つけ、思わず受話器を取り、ダイヤルを回した時にも感じたことだった。「もちろん、かける相手はいないし、日本に通じるはずもない。なのに、私が秘密の電話をしていたと密告されてしまった」 生きることに努力が必要だった。米の作柄が悪ければ、配られる穀物の9割が雑穀になる。冬場の貴重な食料のキムチは、一家4人で毎年1・4トン漬けた。停電が続けば山で薪を拾った。 だから帰国後は、何にでもチャレンジできるのがうれしかった。市役所に勤めたが、05年5月には韓国小説「孤将」を訳して翻訳家デビュー。新たな道を選んだ背景には、子供たちへの思いがある。「私は韓国語ができる。『北』での暮らしを空白にせず、負も生かす道があると教えたかった。『北』で生まれた自分を否定するな、とも」。誇らしげな父の顔になった。 拉致問題への世間の関心が低くなっていることに不安を覚える。どうすれば世論を喚起できるか。答えの一つが取材を受けることだった。24日には拉致への思い、北朝鮮での生活などをつづった手記「半島へ、ふたたび」(新潮社)を出す。 「まだ話せないことがある。けれど、話せると判断したことは話していく。被害者として何ができるかを考え、残された人が一日も早く帰れるよう努めたい」(読売新聞 2009年6月20日14時36分)時事通信:「拉致被害者、早期救出を」=蓮池さん、北生活明かす−きょう著書発売・新潟-----------------------------(引用終了)----------------------------蓮池薫さんの手記『半島へ、ふたたび』を読みました。蓮池さんのブログに綴られた北朝鮮へ拉致されてからの辛苦の24年間、そして、日本へ帰国してから現在までの日々が纏められています。北朝鮮での生活の日々は、辛いことだけだったと振り返っていますが、とくに衣食に関しての苦労が一番を占めていたのだそうです。本を読みながら、今も、こんな生活に虐げられているまだ救出できていない拉致被害者の方々を思うと胸が痛みます。蓮池さんは、拉致されてからしばらくの期間は、日本へ戻ることを夢見ていたそうですが、結婚して子供が出来ると、家族の生活を守ることだけに必死で、夢よりも現実をと、日本への帰国も諦め、隔離された中で人知れず生きて、誰にも知られず死んでいくしかないと、覚悟をしていたそうです。諦めて生活を続けていた24年目に、思いがけず日本へ帰国することができ、その後は、北朝鮮で生きていく上で覚えるしかなかったハングル語で、翻訳家という仕事を選び、韓国の本を翻訳して出版する仕事に携わって、すでに16冊の翻訳本を出版しています。北朝鮮での党や国家から与えられる仕事ではなく、自分の力で仕事が出来る喜び、また、仕事は人生の夢を追い求めることの嬉しさや、ありがたさを噛み締めたり、目標を持ち、その実現のために努力する楽しみを実感して、そして、それは奪われた24年間を取り戻す作業でもあるそうです。日本へ帰国して、この自由な恩恵を感じれば感じるほど、まだ帰国できないでいる拉致被害者のことに思いが募り、一日も早い救出への気持ちが強まるのだそうです。北朝鮮での自由もなく過酷な日々と、日本へ帰国してからの、自分の意思で生活ができるありがたさ。「人が犯す最も大きい罪は、人の全てを奪う殺人、 他人の自由を奪う拉致も殺人と同じぐらい罪が重い。」これは、蓮池さんが翻訳した小説の作家が蓮池さんに語った言葉ですが、蓮池さんの手記を読んで、人間にとって自分の意思で自由に生きることが、もっとも大切であるからこそ、北朝鮮に居る多くの自由を奪われたままの拉致被害者の帰国を一日も早くと、より気持ちが強まりました。