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2007年12月14日(金) 黎明の国

宝塚歌劇団 宙組公演
黎明の国 侍ジェントルマン 白洲次郎の挑戦

[解 説]
 吉田茂の懐刀として自らの信念を貫き、戦後日本の復興・独立に
「舞台裏」から尽力した白洲次郎の姿を描いた作品。
「日本は戦争に負けただけで、アメリカの奴隷となった訳ではない!」と
マッカーサーを恫喝し、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ、
「葬式無用・戒名不用」とたった二行の遺書を残し、
昭和を駆け抜けた白洲次郎の生き様を、夫婦愛、敵対する者との友情、
そして平和へのメッセージを込めて、壮大にミュージカル化。

 世界恐慌、軍部の台頭、暗雲渦巻く昭和3年。
9年間のイギリス・ケンブリッジ大学の留学を終えた白洲次郎が帰国する。
一方、アメリカのハートリッジハイスクールを卒業した樺山伯爵の
令嬢・正子も留学を終え帰国。次郎は神戸の中学時代から自動車を乗り回し、
喧嘩の絶えない暴れん坊。留学というよりも父親の命令でイギリスに
「島流し」にされた「育ちの良い野生児」である。
一方正子は華族の令嬢として「お能」を習う反面、スポーツや射撃にも興じ、
気に入らなければ男も殴りつける「韋駄天お正」と異名を持つお転婆娘であった。
 そんな二人が帰国後、正子の兄の仲介でお見合いする事になった。
互いに先進国で青春時代を謳歌し、「野暮ったい日本の女(男)と
結婚するなんて考えられない!」と見合いを拒否した二人ではあったが、
出会った瞬間一目惚れして結婚。商社マンとなった次郎は妻・正子を伴って
ヨーロッパへ出張、イギリス大使館で後の首相となる外交官の吉田茂と知り合う。
ラジオからは不気味なヒトラーの演説が流れ、
新聞は日本の二・二六事件を報じていた。
帰国した次郎は「戦争突入で日本は食糧難になる!」と農業を始める。
そして敗戦・・・・・・日本を統治すべく連合国総司令官の
ダグラス・マッカーサーが厚木に降り立った。
そんな時、吉田茂から次郎に「終戦連絡事務局員として、
日本の復興に手を貸して欲しい」と連絡が入る。
 マッカーサー率いるGHQを相手に、
次郎の「新しい日本を創る戦い」が始まった・・・・・・。


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白洲次郎好きとしてはこれは観ておきたいが、

家族や周りにヅカファンは居ないんだよなぁ。

宝塚歌劇は好きで、宝塚専門チャンネルも契約してるけど、

劇場に一人では行きづらいなぁ。

あぁ困った、困った こまどり姉妹。

関連日記:
2005年09月08日(木) 生涯、紳士であり続けた日本人

日本人なら読んでおく本。








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