先日、タイを旅行中の邦人女性が何者かに殺害される事件がありましたが、ニュースでは、その女性の方のブログを紹介していました。紹介されたのは、タイの旅行のことを綴ったエントリーでした。ネットがない時代ならば、こういった日記は日記帳などに綴られ、遺族の許可がない限りメディアでは公表されなかったことでしょうが、ウェブ社会となった現代においては、事件に巻き込まれた人がブログを持っていた場合は、遺族の意思(許可)に関係なく、(もちろん、故人の意思はまったく考慮されません。)メディアによって取り上げられてしまいます。いつもならば、親しい友人などがアクセスする以外は、ほとんどアクセスがないであろうブログが、事件に巻き込まれたことで、メディアで紹介され注目を浴びてしまい、アクセス数が爆発的に増え、メディアで紹介された箇所(エントリー)以外にも、当然のことながら過去の日付の文章も読まれてしまいます。そして、コメント欄には、冥福を祈る書き込みのほかにも、管理者であった本人が故人となってしまったことを手玉に取り、故人を誹謗中傷する文章が心無い人から書き込まれたりもします。事件に巻き込まれた本人も、まさか、自分がそのようなことに巻き込まれるとは思ってもいませんし、メディアで紹介されることすら前提としてブログを書いていません。例えば、社会に衝撃を与えた犯罪者がブログを書いていた場合、それをメディアが紹介することは、深層心理を探ることにも繋がるので、まだ意味のあることだと思うのですが、犯罪に巻き込まれた人のブログを紹介するのは、ある意味において、とても残酷なことだと、ニュースを見ていて感じました。