拙日記の5月9日に書いた掲示板の話が、まだ続いておりまして、続いているというか、状況が悪化したというか、全面戦争に突入したというか、いまいち、自分でもどの段階に突入したのかよく分かっていませんが。その件も含めて掲示板では、個人的な感情の吐露で、お見苦しいスレッドを立ててしまい、常連さまやたまに書き込んでくださる方々のみならずROM専門の皆様にも、本来なら不要であった嫌な思いや溜めなくてもよいストレス与え、多大なる負担と心配をさせてしまったことをここで改めてお詫び申し上げます。 でも、いつか言わなきゃならないときもあるということを理解して頂ければ幸いです。 9日の日記で掲示板管理の難しさと、掲示板を閉鎖するかどうか迷っていることを書いたあと、掲示板の書き込みやメール(激励と批判)をたくさん頂きました。ブログで書いてくれた人も数人いました。日記を書いてからも、モヤモヤしたものを相変わらず引きずっているのですが、ちょうどその時にタイミングよくある新書を読みました。それは、はてな取締役の梅田望夫さんと脳科学者の茂木健一郎さんの共同著書『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)です。目からウロコと言いましょうか、例の一見以来、ネットって何だ?という漠然と考えていたことに対しての答えというか道しるべみたいな話が書いてありました。それは、「ネットとの付き合い方がその人の個性」「ネット時代のリテラシーは感情の技術」という項目がありまして、梅田さんも茂木さんもブログを運営しておられますが、梅田望夫ブログ My Life Between Silicon Valley and Japan茂木健一郎ブログ クオリア日記茂木さんがおっしゃるには、ネット上にブログなり何かをオープンにするということは同時に嫌なものを運んでくるので、ときどき無菌状態(コメント欄やトラバの閉鎖)にしたい衝動に駆られるそうです。1個の嫌なことがあると精神的に暗雲が垂れ込めるけれど、でもネットというのはオープンだからこそ、価値があるものだということも感じていて、すごくいい出会いの方が圧倒的に多いから救われている。だからこそ踏みとどまって開いておくことが大事だと述べておられました。 ほかにも、茂木さんは、人間の成長を分ける大きな分水嶺は、偶有性をどう受け入れるかということだと述べておられます。すなわち、成長する能力のある人はというのは、自分にとって痛いこと、辛いこともきちんと受け入れ、それを乗り越える人だということだそうです。(私もその通りだと思います。) そして、ネットの世界は、幾重にも守られているマスメディアとは違い、無制約に様々なものが入り込んでくる場だから、そのネット世界の深い偶有性に身をさらすということは、修行の場に近いのだそうです。私が管理運営するHPの掲示板もアクシデントより、いい出会いや勉強になる書き込みの方が圧倒的に多いですし、偶有性に身をさらすということは、たまにはこんな荒らしのような事態も起こり得るということを理解し、あの場所を楽しんで利用してくれている人の気持ちを無碍にしないよう、この逆境にめげずに掲示板は続けることにします。