中国残留孤児訴訟、国に賠償命令…神戸地裁判決◆帰国を違法に制限、自立支援も怠る 永住帰国した全国の中国残留孤児の約9割にのぼる約2200人が、「中国に置き去りにされ、帰国後も苦しい生活を強いられているのは国の責任」として、1高裁・15地裁で、国に1人あたり3300万円の国家賠償を求めた集団訴訟のうち、兵庫訴訟の判決が1日、神戸地裁であった。橋詰均裁判長は国の責任を認定し、原告65人(1人死亡)のうち61人に、1人あたり660万〜2376万円、総額4億6860万円の賠償を命じた。中国残留邦人を巡る国賠訴訟で、国に賠償を命じたのは初めて。判決は国の孤児支援策の過ちを明確に認めており、他の集団訴訟に大きく影響しそうだ。国は控訴の方向で検討を始めた。 橋詰裁判長は4人について、提訴時点で、損害発生からすでに20年が経過しており、賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に請求を棄却した。 橋詰裁判長は判決で、北朝鮮による拉致被害者への支援が帰国から5年間実施されていることを挙げ、「国は孤児の永住帰国から5年間、日本語の習得や職業訓練などの自立支援義務を負う」としたうえで、生活保護の支給期間が1年間とされるなど孤児への自立支援策は「極めて貧弱」と述べ、国の過失を指摘。この点で、61人に対し、1人当たり600万円の慰謝料などを認定した。 さらに原告17人については、「入国の際に孤児を外国人として扱い、留守家族の身元保証を要求するなど、帰国を妨げる国の違法措置があった」と国の賠償責任を認め、除斥期間が経過した2人を除く15人に、帰国が遅れた1か月ごとに10万円の慰謝料を認めた。 自立支援に向けた国の責任については、「いたずらに孤児の帰国を大幅に遅らせ、孤児の大半が永住帰国時、日本社会に適応するのが困難な高年齢になったのは、日中国交正常化以降も、孤児の救済責任を果たそうとしなかった国の無策と違法な帰国制限が積み重なった結果」と厳しく批判した。 早期帰国支援義務については、「政治的責務はあったが、国家賠償責任を発生させる具体的な法的義務を認めるのは困難」と否定した。 国が「戦争損害はすべての国民が等しく受忍すべきで、その補償は行政、立法の裁量に委ねられている」と主張した点については、「国の違法な職務行為によるもので、戦争損害ではない」と退けた。 判決言い渡し後、橋詰裁判長は「裁判所は弁明せずというが、一言だけ」と前置きし、「判決内容に、いろいろ不服があると思うが、裁判所は理解している。本件は裁判による解決には大きな限界があると痛感しています」と述べた。 一連の集団訴訟は2002年12月の東京地裁を手始めに、全国15地裁に起こされた。兵庫訴訟は04年3月以降、順次提訴された。 厚生労働省社会・援護局援護企画課中国孤児等対策室の北原久文室長は「国側にとって厳しい判決と受け止めている。判決内容を詳しく検討した上、今後の対応について関係省庁と協議したい」とコメントした。 ■中国残留孤児 1945年8月の終戦前後、旧ソ連参戦などによる中国大陸の混乱で、肉親と離ればなれになり、旧満州(現中国東北部)などに残された日本人。約2800人とされ、81年3月、日本政府の招きで肉親捜しのために初来日し、これまでに約2500人が永住帰国した。(読売新聞 2006年12月01日)ほか関連ソース:毎日新聞:中国残留孤児訴訟:兵庫訴訟・原告勝訴 「控訴しないで」 国に申し入れ判決要旨(News for the People in Japan)-----------------------------(引用終了)----------------------------一昨日の1日、中国残留孤児兵庫訴訟の判決が出ました。国家の支援が不十分だったゆえの訴訟であり、極めて妥当な判決であったと思っています。この判決後に当サイトの掲示板に寄せられた書き込みや反・反日系(最近はこう言うらしい)のブログの幾つかの論調を読んでいて違和感を持ちました。その違和感についてまとめようと思っていたのですが、いつも楽しみにしているブログ「sokの日記」さまが、感じた違和感を簡潔に代弁してくださっていたので、それに関しては発言をお任せしたいと思います。「中国残留孤児訴訟、国に賠償命令…神戸地裁判決」一部だけ抜粋しますが、「連行・抑留」を「拉致」に、「中国残留孤児」を「拉致被害者」に置き換えることで、その根底にある思想が透けてみえる。一部の反・反日系ブロガーやコメンターの主張は、2004年5月22日の拉致被害者家族バッシングと同根である。 -----------------------------(引用終了)----------------------------最後の指摘がそのものズバリで、この先、新たに拉致被害者の方が帰国でき、もし、その中の誰かが「国家の怠慢で救出が遅れた」と日本政府を訴えた場合、反・反日系の一部の人々は態度を急変させ、2004年5月22日の拉致被害者家族バッシングを起こしたように、拉致被害者にまで噛み付くことは容易に想像できるので、惨憺たる気持ちになります。 本来、人権救済や人道支援なるものは、右派、左派のイデオロギーの垣根を越えたものであるべきなのですが、どうも日本の場合は、右派、左派が別れ、協力し合うということがありません。仮に、拉致被害者救済活動を、普段、人権や人道を声高に叫んでいる社会党や共産党が率先して行っていれば、左派系のメディアや市民団体が救出活動を支援していたことでしょう。しかし、現実は左派が、拉致した相手が北朝鮮だからなのか、他の理由もあるのかは知りませんが、支援の手を差し伸べることは、まったくと言ってしまっても良いほどにありませんでした。どちらかと言えば、左派の人々は拉致をでっち上げと否定していました。その替わり、拉致被害者救出運動には右派系保守系の市民団体が支援の手を差し伸べています。要するに、一方が協力すれば、もう一方は協力しないという図式であり、中国残留孤児支援活動と拉致被害者救出の支援活動は、右派と左派の立場が違うだけで中身はほぼ同じです。ただ、支援活動に協力する市民団体の中には、別な目的があり、支援される側を利用している団体も少なからず存在します。こういう市民団体が出てくるのも仕方のないことで、支援を受ける当事者が気をつけておけば、そういう団体に取り込まれることもないし、また私たち一般人も、支援している市民団体を見ることより、支援や救済を望む当事者だけを応援し協力の手を差し伸べればいいのです。 私は3年前に一度、拉致被害者家族会の集会に参加しましたが、保守系のある市民団体が館内で無料で自分達の機関紙と定期購読用紙を配っているのを目の当たりにし違和感を覚えました。活動に市民団体の協力が不要だと言いたいのではありません。確かに、その手の市民団体の支援も家族会の活動にとっては大事なことではありますが、救出活動に絡ませてのイデオロギー的なものの押し付けは、まったくの別問題であり、この団体は北朝鮮に拉致されている人の救出と、自分達の思想を広め支持者を一人でも多く増やすのと、どちらに重きをおいているのか疑問に感じました。本来は、国家、政府がしっかりと地に足の着いた支援救済政策を行っていれば、市民団体が関わる必要もないわけで、国家の支援政策の中途半端な対応や怠慢が、今回の中国残留孤児訴訟のような、国と国民の不要な対立を生んでいる証しといえます。このような対立の溝を埋めることも、安倍首相の掲げる「美しい国」づくりの一つであり、国家として取るべき道ではないでしょうか。ただ、日本の場合は、政府すら拉致被害者の救出救済活動で与野党の垣根を越え協力し合わないですからねぇ・・・。拉致問題は、拉致被害者とその家族だけの問題ではないのに、まったく、おかしな国です。関連リンク:『江草 乗の言いたい放題』さま2006年12月02日(土) わたしたちは日本に見捨てられました ↓エンピツ投票ボタンです。 今日の日記は良かった思った方は押してくださると嬉しいです。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加