<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ昭和天皇が1988年に、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。 遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまでの間、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。 靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。 「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)とみられる。 メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月ににA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司、松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇は松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。 昭和天皇は45〜75年に8回靖国神社を参拝した。 富田氏は警察官僚出身で、72年の浅間山荘事件を警察庁警備局長として指揮し、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。その間の87年には昭和天皇が天皇として初めて開腹手術を受けることを決断した。退任後は国家公安委員を務め、03年11月、83歳で死去した。 遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく御所などで会話し、それらをメモなどに書きとめ本棚に保管していた。靖国神社をめぐる今回の発言については、富田氏が長官を務めていた当時、直接聞いたことがあるという。 昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。■富田氏メモ靖国部分の全文■ 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま) ◇内容信用できる ▽「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。 ▽A級戦犯 第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づいて開かれた戦犯裁判で、「中心的指導者」とされた被告。終戦間際に連合国側が定めた「平和に対する罪」に該当するなどとして、首相経験者や陸海軍高官ら28人が起訴された。極東国際軍事裁判(東京裁判)での48年の判決では、全員有罪(公判中に2人死亡)で、東条英機元首相ら7人に絞首刑が言い渡された。78年10月に絞首刑の7人と公判中や収監中に死亡した7人の計14人が靖国神社に合祀されている。 ◇分祀論議などにも微妙な影響 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたことは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝がクローズアップされる中、政界に根強いA級戦犯分祀論議に一定の追い風となりそうだ。ただ、靖国神社側は分祀について、これまで強く否定している。 天皇参拝が途絶えたことは、78年のA級戦犯合祀に配慮したとの指摘がもともと政界に強かった。一方で、75年の最後の天皇参拝と合祀の間に約3年の空白があることから、国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因、との反論も根強かった。安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。 A級戦犯については、自民党の古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが神社からの分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可能性はある。 ただ、政界が分祀論議を提起することは政教分離原則に抵触するとの批判があるうえ、靖国神社側は分祀を強く否定しており、状況は複雑だ。(毎日新聞 7月20日14時12分更新)元宮内庁長官の手帳と日記-----------------------------(引用終了)----------------------------まさにマスコミが躍起になって報道している「総理大臣の靖国参拝の是非」と「いわゆるA級戦犯の分祀論」について、タイミング良くこのメモが出てきたことにより、マスコミがこのメモについてあーだこーだ言っておりますが、現在の天皇も先代の昭和天皇も現在の日本国家においては象徴であり、現在の日本は国民主権です。 昭和天皇の靖国に対する姿勢がいかなる考えであったにせよ、それを国政及び国民の政治行為に影響を及ぼすわけもなく、 総理大臣の靖国参拝を左右するわけでもなく、 小泉首相や今後の首相が参拝すべきでないという結論には至らないのに、昭和天皇が合祀に不快感を示されていたからこそ首相は参拝を止めるべきだとか、いわゆるA級戦犯は分祀するべきだと、安易に結論付けるのも間違いだと思うのですが。また、マスコミがどちらの意見を取り上げるにしろ、日ごろ拒否している天皇発言の政治利用に繋がることにもなり、報道にはいま少し配慮というものが足りないように思われます。昭和天皇が、いわゆるA級戦犯合祀に不快感を示され、ご自身の心の問題で参拝しないことを決めたのなら、それはそれで良いと思います。(ただ、昭和天皇は靖国に参拝しなくなっても、 毎年、靖国の春と秋の例大祭に公式の代理として勅使を送っておられ、 今の天皇陛下も続けておられます。)そして、戦死者を慰霊したいと思う小泉首相も自身の心の問題で靖国神社に参拝に行っているので、それもそれで良いと思います。「自分の気持ちを尊重して行動に移す。」それ以外に何があるというのでしょうか?行くも行かないも個人の心の問題で自由でしょう。特に、自国の戦没者の慰霊で靖国神社に参拝するのに、 他国の顔色を伺う事が一番おかしいのです。このメモによって、一部マスコミや政治家が騒ぎ始め、煽られた中韓も騒ぎ始めたようですが、結局、日本の中のこれらの連中が、社会主義勢力である中国とそれに追従する韓国を煽り、一緒になって日本を貶め続けることに躍起になる限りは、日本人自身による、過去の戦争に関する冷静な評価は不可能ではないのでしょうか。すでに亡くなられているとはいえ、昭和天皇のお言葉(と言うよりメモ)を持ち出して、 そのお言葉に従えと言うのは「天皇の政治利用」にほかなりません。これ幸いと思想や利権のために昭和天皇を利用して、政治や外交を振りかざす政治家の多くは、まるで昭和天皇を利用して戦争をした軍部と同じようなもので、彼らからは卑しさがにじみ出ていますし、そして、揃いも揃って自分たちが日ごろ批判している戦争を引き起こした人々と、なんら変らないことを気づいてないことに滑稽さを感じます。↑エンピツ投票ボタンです。読んだら押してくださると嬉しいです。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加