人質解放「国はいらない」 NGO「ピースオン」の相沢さん>市民の力が聖職者を動かした。国はいらないんだなという印象を持った国がいらないなら、ますます自己責任が必要なんじゃないのと思うのですが。そもそも、NGOもNPOも国から補助金を貰っているのに、「国はいらない」だなんて「恩知らず」という言葉がピッタリです。僕はボランティアに行くのは一向に構わないと思っています。問題は「人助けなら何をしても許される」と、行き過ぎた行動に出てしまう事です。今回、拘束された3人が責められてるのは、友人に「もしかしたら、死ぬかも」なんてメールを送るぐらい、危険だと知っておきながら、その危険地帯に「運任せ」で行ったことなのです。本質は、遭難や事故でよくあるパターンと同じでしょう。本当のプロなら引き返したはずです。また、こういう一部のNGOは、国のことを敵視しますが、国が支援することも、非営利団体が支援することもどちらもとても重要なことです。国の枠組みにとらわれない活動が必要なことは否定しません。だが、それだからといって国の支援活動をも否定して良いわけではありません。どちらも自分の方こそが、役立っていると思うのは良くありません。これは自戒と共に思うことですが、人は感謝されることに慣れすぎると、同じような活動をする人のことを受け入れなくなったり、「私たちは、お前らのために活動してやっているんだから、受け入れられて当然、感謝されて当然」と善意の押し売りをしてしまったり、批判的な意見には慣れていないので、批判されると「どうして?」と思ってしまいがちで、改善できる箇所を見過ごしてしまったりと、結果、良い行いをすることで器の小さい人間になってしまうこともあります。民間人の活動が役立っているかもしれないけど、だからといって自分たち以外は駄目などと思わないように。また、私達はNGOやNPOに対して、いかがわしいと思うか、あるいは、慈善事業なのだから無条件に敬意を持ってしまうかのどちらかです。最近は、平和だ反戦だ平等だなんだと、中身のない美辞麗句で、自らを偽る暴力団や過激派や宗教団体が多かったり、NGOを名乗り募金を集めながら、実は何も活動していない詐欺団体なども多く存在します。よっぽど名の知れた確認済みの団体でもなけりゃ、安心して募金出来ない世の中。昨年、北朝鮮による拉致被害者を救う会を名乗り、募金と署名を集めるニセ団体がTVなどで取り上げられ話題になったように、そのような詐欺師のおかげで、ちゃんとした団体が活動していても疑った目で見てしまう、そういう嫌な世の中になってきています。善意のつもりの募金が、詐欺師の生活費や破壊活動やカルトの資金源になってしまいます。そういう詐欺師は人心の善意すら破壊していくから困ったものです。私達は、もっとNGOやNPOについて関心を持ち、ごく普通にその団体のコストパフォーマンスを判断できるようになるべきでしょう。非営利団体だから、ボランティアだから、というだけの理由で、すぐにNGOやNPOを評価してはいけないと思います。◆人質にナイフの脅迫映像は演出 政府分析、早期に認識そりゃ、緊迫感がぜんぜんない映像になったわけだよ。見てても、これは本当にやばいじゃないの、って思えなかったもの。普通、「武装集団」に拘束されて、急にナイフを突きつけられたら「演技」しなくても怖がるんだと思うんだけど。まぁ、それだったら「ノー小泉」とは叫ばないだろうけど。 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加