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2004年04月02日(金) ( -@∀@) 朝日新聞VS読売&産経

春は、朝日の社説が普段にもまして香ばしい。

まずは、朝日新聞3月18日付の社説

■国旗国歌――大人がムキになる愚

現在、この社説は削除されているため、

『Irregular Expression』 朝日がムキになる愚で前文を参照されたし。

次に朝日新聞 3月31日付朝刊社説、■国旗国歌――起立せずで処分とは

この朝日の社説に対して、産経新聞は産経抄 4月1日で反論。

読売新聞も3月31日付社説、[国旗・国歌]「甲子園では普通のことなのに」

で国旗国歌に関しての意見を述べています。

これに釣られたのか朝日は今日の社説で読売&産経に大反論。

■国旗・国歌――甲子園とは話が違う

前日(1日)の社説■社説――比べて読めば面白い で、

>我々の考えがいつも正しいなどとは思わない。
>社会の変化につれて考えが変わることもある。
>大切なのは、異なる意見を戦わせること、
>違いの中から進歩を見いだそうとする姿勢ではないか。

なんて当たり前のことを書いておきながら、相手の意見を全否定していて、

やっぱり一番ムキになってるのは朝日じゃねーかよ!とツッコまずにはいられません。

今日の社説も明らか主張がヘンです。

批判に対して甲子園で起立しなかった観客を処分するわけではないなどと自己弁護。

起立しなかった生徒を処分するわけじゃあるまいし、まるで弁護になってません。

都教委=甲子園主催者(高野連、朝日)

日教組をはじめとした教員=主催者役員

生徒=出場選手、観客というふうに考えるとわかりやすいかも。

もし朝日の役員なんかが自主的な判断で日の丸掲揚を中止させて、

その上で開会式で君が代の最中に起立しなかったらというのを考えてみてください。

会社員(役員)失格でしょう。

教諭、講師の類も学校と言う職場の職員であり、

職務規則を守らなければならない義務があります。

国旗、国歌に対する礼儀(マナー)を日頃から

教師が生徒に教えてないのがそもそもの発端であって、

要するに職務怠慢が処分の根拠だという事を読売や産経が指摘したまでの事。

ちゃんと指導してくれていれば、ここまで強制されることはなかっただろうに。

2002年の日韓W杯のとき、日本のサポーターの一部の無礼者が、

相手国の国歌吹奏のときにブーイングなどをやらかして

後日、相手国や他国からも抗議があったように、

世界に恥をさらしたりしたのも、相手国にも敬意をあらわすという

すなわち礼儀を守るそういう教育がなってなかったからです。

思想信条の自由として歌わない自由があるのは理解できるけど、

外国旗も含め美しいか美しくないかなど関係なく、

儀礼上、どこの国であれ国旗国歌に敬意をはらうということは

万国共通の礼儀だから、子供の内から教えておかないと

大人になった時に礼儀知らずだなんて言われて本人が困るんだから。

国家斉唱のときは起立するのが世界の常識でありマナーであるということを

教師が手本として教えておくべきだということを求められただけではないでしょうか。

こういう先生方は、毎年同じ事で不快になるかもしれないけど、

生徒にとってはその学校での卒業式は一度きりです。

学校生活最後の晴れ舞台、気分良く送り出してやろうとは思わないのでしょうか。

そんなことも考えず、数年間成長を見てきた生徒の

晴れの舞台に対して敬意を抱かないで、

世界の常識さえも無視し、自分の思想(エゴ)を優先させるような

その神経が信じられません。

だいいち、教え子は起立しているのに、

教育する側が起立をしないなんて本末転倒も甚だしい。

それが「教育者」としてあるべき姿なのでしょうか?

教師に限らず、どんな仕事にしたって、

自分の思想に合わないなんて事は腐るほどあります。

気に食わないからと、全部訴えていたら生きていけません。

こういう教師や朝日の「思想の自由の侵害」なんてのは自分勝手でしかなく、

本音は「日本が大嫌い」とただそれだけです。

また、このようなエゴの塊のわがまま教師を

「思想信条の自由」の為なら多くの人の迷惑したっていいじゃない、

不快に思われてもいいじゃないと援護する朝日の社説を読むと、

度重なる朝日社員の不祥事にも妙に納得しちゃいます。

オマケ:なんじゃこりゃ?




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名塚元哉 |←ホームページ