「大義」のもとに米国民に結集訴えへ 一般教書演説イラクとの対決姿勢、鮮明に 米大統領一般教書演説ブッシュは、地球を割るとか言っている北のブタ将軍と言ってることがだんだん同じになってきてますね。カンヌ映画祭で絶賛されたドキュメンタリー映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』を監督したマイケル・ムーアのインタビュー記事を、ずいぶん前に読みました。この映画は、アメリカのコロラド州でトレンチコートマフィアと呼ばれた二人の少年が学校で銃を乱射して多くの被害者が出た事件を扱い、どうして、そういういたましい事件が起きたのかと推測しています。それは、建国以来のアメリカの歴史が暴力的だからだとか、貧富の差が大きなアメリカ経済の影響のせいだからだとか。しかし、たとえばナチスの大量虐殺を生んだドイツやスターリンの粛清を生んだロシアを考えると、アメリカの歴史だけが特別に暴力的だとは考えるのは不自然です。貧富の差についても、カナダの失業率はアメリカの2倍だからこれも当てはまりません。いろいろな推測の中で、アメリカでは誰でも簡単に銃を持てる社会だから、という理由にはなかなか説得力があります。しかし、人口3000万のカナダには700万丁の銃があるそうですが、銃による殺人事件の発生件数はアメリカに遠く及びません。それではなぜアメリカで銃による殺人事件が突出して多いのか? とムーアは映画の中で繰り返し自問自答し、ある結論に達しました。銃犯罪が減らないのは、それは恐怖によるものではないかと。昔アメリカの白人は黒人の暴力を極端に恐れていました。そういった根拠のない恐怖が、形を変えて今も続いているのではないか。自分はいつかある種の人々にやられるかも知れない。だからやられる前にやっつけておく、という考え方です。そのムーアの推測が正しいかどうかはわかりません。ただブッシュ大統領や今のアメリカ政府の「新保守派」と呼ばれる人々の考え方を理解するのに参考になるのではないかと思います。クルド人を弾圧し、軍事独裁を続けるイラクのサダム・フセインを僕は好きではありません。しかし、湾岸戦争の際にフセインがイスラエルに打ち込んだミサイルには核弾頭も生物・化学兵器も付いていませんでした。フセインがイスラム過激派のテロ組織に大量破壊兵器を提供するという懸念もあるようです。ですが、たとえばアフガニスタンでアル・カイーダが使っていた武器はおもにCIAが提供していたものでした。では、アメリカ政府の新保守派はいったい何を恐れているのだろうと思います。人間の想像力が何かを恐れるのは理解できます。心理学によりますと恐怖の対象が不明の場合、わたし達は無理やりその対象を探す傾向があるそうです。恐怖の対象をはっきりさせればそれを消してしまえばいいということになります。ただし、基本的に想像力による恐怖が完全になくなることはありません。恐怖に過度に反応すると、次から次に恐怖を与える対象を設定して、それを潰さないと安心できないという不安神経症的な循環に陥ることがあります。アメリカはブッシュが大統領を続ける限り、国全体が「大義」という幻想の中で、不安神経症的な一体感に支配され続けるのではないでしょうか。オマケリンク:ブッシュ妄言録 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加