バナナが10年以内に絶滅も、科学的な助力ないなら=学説なんということでしょうか!?僕は果物類は得意ではないのですが、バナナ、イチゴ、リンゴ、柿だけは食べれます。そんな食べれる数少ない果物の中から、バナナがなくなってしまうかもしれないなんて。リンゴは震災当日、避難所で配られて空腹に耐えかねて仕方なしに食べたのがきっかけです。そうです今日は1月17日。95年、6433人の犠牲者を出した阪神大震災から丸8年目が経ちました。我が家は全壊に近い半壊で、避難したほうがよいと言われ、その後3週間ほど近所の会館に避難していました。テレビで’95/1/17の映像を見ていると、当時感じたあのとてもつらい思い出が蘇ってきて、今でもあの時と同じくらいとても悲しい気持ちになります。また、それと同時に避難所で共に過ごした皆さんの顔、緊急医療チーム、スタッフさんの笑顔、ボランティアで訪れた人たちの笑顔と避難所で過ごした3週間のことが思い出されます。あの日、淡路と神戸の人たちは、最愛の人や思い出のいっぱい詰まった家、思い出の品、思い出のある町並みなど数多くのものを失いましたが、それと同時に多くの人々の暖かい心に触れることができ、多くの教訓を得たことも確かです。そして、全国各地から集まった自衛隊のみなさん、消防のみなさん、警察のみなさん、医療チームのみなさん、電気、ガス工事のみなさん、ボランティアのみなさん、救助救援復旧活動に携わってくださった全てのみなさん本当にありがとうございました。あれから8年、政府やメディアは、この多大なる犠牲から、何かをちゃんと学び取ることができたのでしょうか。人口も戻り、街は元の賑やかさを取り戻しつつあるかのように見えます。しかし、その向こう側では、復興住宅で寂しく過ごすお年寄りが大勢います。最愛の人を亡くし、心の傷が癒されることのない人もいます。復興に向けて一生懸命努力している人たちが、まだまだたくさん居ることをどうか忘れないでほしいのです。ところで、当時の首相であった村山富一氏は、自衛隊の出動を遅らせたばかりか、各国から寄せられた援助の申し出も断ってしまったことを、人として後悔していないんだろうかとつくづく思います。村山富市とブサヨプロ市民による、阪神大虐殺の記録です ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加