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2003年01月17日(金) 「地震から半日たった神戸上空です。あちこちで湯煙がまるで温泉町のようです。」by筑紫哲也

バナナが10年以内に絶滅も、科学的な助力ないなら=学説

なんということでしょうか!?僕は果物類は得意ではないのですが、

バナナ、イチゴ、リンゴ、柿だけは食べれます。

そんな食べれる数少ない果物の中から、

バナナがなくなってしまうかもしれないなんて。

リンゴは震災当日、避難所で配られて空腹に耐えかねて

仕方なしに食べたのがきっかけです。

そうです今日は1月17日。

95年、6433人の犠牲者を出した阪神大震災から丸8年目が経ちました。

我が家は全壊に近い半壊で、避難したほうがよいと言われ、

その後3週間ほど近所の会館に避難していました。

テレビで’95/1/17の映像を見ていると、

当時感じたあのとてもつらい思い出が蘇ってきて、

今でもあの時と同じくらいとても悲しい気持ちになります。

また、それと同時に避難所で共に過ごした皆さんの顔、

緊急医療チーム、スタッフさんの笑顔、

ボランティアで訪れた人たちの笑顔と

避難所で過ごした3週間のことが思い出されます。

あの日、淡路と神戸の人たちは、最愛の人や思い出のいっぱい詰まった家、

思い出の品、思い出のある町並みなど数多くのものを失いましたが、

それと同時に多くの人々の暖かい心に触れることができ、

多くの教訓を得たことも確かです。

そして、全国各地から集まった自衛隊のみなさん、消防のみなさん、

警察のみなさん、医療チームのみなさん、電気、ガス工事のみなさん、

ボランティアのみなさん、救助救援復旧活動に携わってくださった

全てのみなさん本当にありがとうございました。

あれから8年、政府やメディアは、この多大なる犠牲から、

何かをちゃんと学び取ることができたのでしょうか。

人口も戻り、街は元の賑やかさを取り戻しつつあるかのように見えます。

しかし、その向こう側では、

復興住宅で寂しく過ごすお年寄りが大勢います。

最愛の人を亡くし、心の傷が癒されることのない人もいます。

復興に向けて一生懸命努力している人たちが、

まだまだたくさん居ることをどうか忘れないでほしいのです。

ところで、当時の首相であった村山富一氏は、

自衛隊の出動を遅らせたばかりか、各国から寄せられた援助の申し出も

断ってしまったことを、人として後悔していないんだろうかとつくづく思います。

村山富市とブサヨプロ市民による、阪神大虐殺の記録です





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名塚元哉 |←ホームページ