子供が産まれたら写真やビデオの撮影にハマってしまうんじゃないかと思っていたのに、私自身は全くと言って良いほどそれらの機器を使っていない。娘を可愛いと思う気持ちはあるのだけれど、撮影云々よりも直接娘の相手をしている時間を重視すると、ついついおざなりになってしまうと言うか。夫は比較的マメに娘を撮影してくれているので、すっかり任せっぱなしになっている。
昨日、乙女な母から「もっと貴女も撮ってあげないと駄目よ。特に0さん(夫)が抱いているところとか、お風呂に入れてあげてるところとか」と注意を受けた。確かに夫と娘が一緒に映っているものは私しか撮影出来ないのに、私ときたらカメラもビデオカメラも興味無し…とて手を付けようとしなかったのだ。
乙女な母に注意を受けて、これはイカンと反省した。
そんな訳でビデオカメラの勉強がてら夫が撮影していた「娘の記録」を観ていたのだけど、そこには「両親や周囲の人から愛される娘」の記録が綴られていて、自分は1つも撮影していないくせに「こうやって記録が残るって良いものだなぁ」と思った。
娘はまだ赤ん坊なので両親や周囲の人から愛されてのんびり日々を過ごしているけれど、成長したらそうも言っていられない。いずれ自分の力で生きていかねばならないし、生きることは楽しい事ばかりではない。生きているのが嫌になるほど辛い目にだって遭うだろう。娘が辛くてたまらない時、親は何もしてやれないけれど「愛された記憶」を娘に贈る事は出来る。「愛された記憶」は娘が生きていく上で大きな力になっていくんじゃないかなぁ。
そんなことを考えていたら、なんだか泣けてきてしまった。娘が「愛された記憶」は娘だけでなく、私達夫婦にとっても大切な記憶になるだろう。最近『天才バカボン』のアニメを使ったヨドコウ物置のCMを観るだけで泣きたくなってしまうのだ。娘が大人になった時、それらの記録を観たりなんかしたら、きっと私は泣くだろう。
日々の生活を過ごすことばかりに目がいってしまいがちだけど、これからはカメラやビデオで娘の記録を残してあげることにも少し力を入れようと思う。まずは夫が娘をお風呂に入れているところを撮るところから……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。