白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2006年05月02日(火) スペイン道中【マドリード後半〜スペインの日本人】

スペイン観光最終日後半。夕方から闘牛観戦へ向かった。

私達を担当してくれた現地の日本人ガイドT子さんはスペイン在住数十年で大の闘牛ファン。「私は1年に60回ほど闘牛を観ますが今日の闘牛は仕事でなければ、チケットを買ってでも観たいと思うほど特別な闘牛です」とのこと。T子さんは熱っぽく「闘牛について」説明をしてくれた。

たとえば……闘牛が始まるのは闘牛場の日向の部分と日陰の部分が中心で真っ二つに割れる時間であるとか、闘牛は生死をかけての戦いだから、牛が死ぬまで決して席を離れられない……とか。素晴らしい闘牛をしたマタドールには牛の耳が与えられるのだが、どういった基準でそれが決められるか……とか。私は自分の信条的に「食べる以外の理由で動物を殺す」のは賛成できないのだけど、マタドールの洗練された動きは美しいと思ったし「これもまた文化だなぁ」と思った。同じツアーの中で途中、気分が悪くなって出て行く女性もいたし、その反面すっかりハマってしまったらしい人もいた(これは男性が多かった)。

人間には誰しも嗜虐性があるので、闘牛だとか格闘技に興奮するのは当たり前のこと。私自身は比較的嗜虐性の強い人間だけど、「マタドールが勝とうが負けようが最終的に牛は死ぬ」のが分かっているだけに、心を熱くすることは無かった。なので「心優しいから闘牛に興奮しなかった」という訳ではない。闘牛を生で観て「人間の本質」について深く考えずにはいられなかった。

闘牛の大好きなT子さんは、かなり年輩の女性なのだけど、話が巧みで面白い人だった。スペインでの生活が長すぎるせいか「スペイン人でもなければ、日本人でもない」不思議な喋り方とゼスチャーが印象的で、有吉佐和子の『非色』の中で出来た「日本を離れて変質した桜」の話を思い出してしまった。人間の生き方って、色々あるなぁ…とか、「どこで生きるか」ってことを選び取って行く人生もアリだよなぁ…とか、そんなことを考えた。

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……とまぁ、そんなこんなでスペイン旅行の記録はオシマイ。帰路の飛行機は特に印象に残ったことは無かった。強いて言えば乗り換え地点、オランダの空港にはいたるところにお洒落な募金箱があって、私達夫婦は残ったユーロを全部入れてきたのだけれど、あれは素敵なアイデアだと思った。海外旅行をすれば「もう使わない小銭」が出てくるものだし、ご家庭で死蔵されるなら、世の中のお役に立った方が良い。日本の空港の国際線にも、そういった募金箱があれば良いのに。

旅日記を書く前は、道中の事柄を書いた後に「美味しかったもの」とか「スペインのヲタク事情」とか、見聞して印象的だった事をまとめて書くつもりだったけど、日々の日記を書けない…って状況に、そろそろ嫌気がさしてきたので、書きたいことは山ほどあるけど、今日で終わりにしようと思う。思い出を書くのもいいけれど、現在進行形の生活の方が大切に思うので。

明日からまた通常日記を書きませう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年05月02日(日) 燻し銀的休日。
2003年05月02日(金) 黄金週間を前にして。
2002年05月02日(木) 江戸満喫中&帰還しました。

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