白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年03月30日(火) 物に縛られる

就職活動メモ。結果待ち3件中、2件返事アリ。1件はアウト。1件は次のステップへ……と言っても次の面接は来週月曜。退職時に掲げた「3月末まで・10アタックで決める」という目標は達成できそうにない感じ。明日で3月もオシマイだしなぁ。

午前中、乙女な母を病院へ送り届けて唐突に思った。このまま遠くへ旅に出たいと。

1人で自動車を運転していると猛烈に「遠くへ行きたい願望」が押し寄せてくる。不思議なことに、何か買い物をした後は「遠くへ行きたい願望」は出てこない。たとえば買ったものが生鮮食料品でなくて、ティッシュペパー1箱だったとしても、買い物をした後は「早く家に帰らなくちゃ」という気持ちが先に立つようだ。

1つ所に自分を繋ぎ止める物は「人」だと思っていたけれど、ぢつは無機質な「物」なのかも知れない……なんてことをふと思う。スナフキンも、山下清も、山頭火も、身軽だったらか旅暮らしが出来たのではないか……と。たくさんの物を持っていればいるほど動き難いんぢゃなかろうか。

以前、大量の本と机を処分しようとした時のことを、ふと思い出した。

「本も机も、無くたって生きていけるから捨てるわ」と言って、愚弟とFに大反対されたことがあったのだ。「置くところがないなら私の実家に置いてあげる」とFは言い、「机は姉の拠り所だから捨てちゃ駄目だと思う」と愚弟は言った。あの時は捨てる気満々だったので、意外な反対に吃驚しつつ、せっかくなので置いておくことになったのだけれど、彼らの行動はある意味正しかったのかも知れない。あまり身軽になってしまったら、1つところに留まる理由が見つからない。

自分にとって本当に必要な物なんて、ほんの少ししかないのに、やたらと無駄な物ばかり抱え込んで暮らしているような気がする。物はあくまでも物でしかない。たいていの物はお金があれば買えるのだ。なの縛られる。意思のない物に縛られるだなんて愚かしいのぅ。

ま。何かに振り回されている限りは現状維持でいるだろう。いつか遠い日、物に縛られないなれると良いな……などと妄想しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2003年03月30日(日) 穏やかな1日。
2002年03月30日(土) もうすぐ半年。「ありがとう」と戯言と。

白蓮 |MAILHP