白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年02月24日(火) 絵を貰う。

生まれて初めて人から『絵』を貰った。

貰ったと言っても「貴女のために描きました」とか「どうしても貴女に持っていてもらいたいんです」とか言うような色っぽい贈り物ではなくて、半ば強奪のように巻き上げてしまった格好で、ちょっと心苦しかったりもするのだが、ありがたく甘えてしまうことにした。(←念のために書いておくけれど私はジャイアニズムの支持者ではない)

優しい色使いで、見ているとホッとするような、そんな温かな1枚。絵、そのものの素敵さもさることながら「絵を貰う」というシュチュエーションにドキドキしてしまった。なんちゅーか、こう……嬉しいような、気恥ずかしいような。古今東西の芸術家達(男女問わずにがモテモテ・ファイヤーな人が多い理由が分かったような気がする。

「あなたをモデルに描きました」とか「あなたをイメージした曲なんです」とか「あなたへの想いを綴ってみました」とか、そういう類の贈り物を貰ったら、それだけで参っちゃうよなぁ。美術館や、あるいはコンサートなどで、それらをストレートに観賞する時でさえ、ちょっとオカシナ気分になったりするのだもの。そこに、ちょっぴりでも私情が入ったりした日にゃぁ、貰った人間がウッカリにもウットリするのは無理はないってもんだ。小説家、嶽本野ばらの手法(恋人へのラブレターを書くように小説を書く)は、ある意味とても正しいと言えるだろう。

芸術作品には、何某かの魔力が宿っているような気がする。

これから先の人生で、他に絵を貰う機会があったとしても、今回、絵を贈ってくれた人と音信不通になって、一生会わないなんて事態に陥ってしまうことがあったとしても「生まれて初めて絵をプレゼントしてくれた人」と「生まれてはじめて絵をプレゼントしてもらった時の感動」は一生忘れないだろうと思う。……ありがとう。

それはともかく、ポスターやリトグラフではないオリジナルの絵って、いいものだなぁ。嬉しいなぁ。なんでも言ってみるもんだなぁ(←くどいようだが私はジャイアニズムの支持者ではない)週末は絵を入れる額を買いにいこう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2003年02月24日(月) 冥利に尽きる。
2002年02月24日(日) 「生きると死ぬって何なんですか?」と質問を受けて。

白蓮 |MAILHP