白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年03月29日(土) お弔い

今日は母の従兄弟の葬儀に参列してきた。

私にとって、それほど近しい人でも、親しい人でもなかったのだが
ちょっぴり目頭を熱くしてしまった。
祖母が死んだ時も、父が死んだ時も泣かなかったのになぁ。
人間の感情ってのは、複雑怪奇で気味が悪い。

故人は大阪の田舎地方に住んでいたということもあってか
メモリアルホールなどで行う今風の葬儀ではなくて
町内会だの、地元婦人部などが取りしきるような「お弔い」だった。
徒歩20分ある斎場まで、親族が歩いてお見送りするだなんて
私は生まれてはじめてだった……と行っても私は参加しなかったのだが。
足の悪い母を残して、私1人では行く訳にはいかないし。
母は「行ってくる?」と聞いてくれたが、ついて歩く気になれなかったし。

それはそうと。

「結婚式と葬式は人の本質がよく見える」と昔から言われるが
あれって、本当のことなんだなぁ……と思った。
なんちゅ〜か。なんちゅ〜か。
常識のないことや、無礼なことを言う人間っているんだなぁ……と。
母の従兄弟は62歳で他界したのだが、その母上は90歳を過ぎてご健在で
爺さんとは言えど、息子を送る親の気持ちって、いかばかりか?
などと私は思っていたのだが、心ないことを言う人がいて
「常識ないんじゃない?」というか「馬鹿じゃない?」というか
不愉快な気分になったり、怒りに拳を固くしたりしてしまった。
……もっとも1人勝手に不愉快になったり、怒っていたに過ぎないのだが。

母の従兄弟は、独身者で、4年間闘病生活を送っていたのだが
その最後は兄上が看取られたとのことだった。
「オムツ代えるのも慣れたで。臭いのも平気になるもんや
などと兄上が明るく話しておられるのを聞いて救われたような気がした。
闘病生活は辛いものであったようだが、ちらほら小耳に挟むだに
陰鬱なものだけではなかったようで……

「明るく生きる」ってことは素晴らしいなぁ……とシミジミ思った。

それにしても人が死ぬってのは、やっぱり大変である。
お葬式の大変さは、遺族の哀しみを和らげるためだと言うけれど
たぶん、そうなんだろうなぁ……と思ったりした。

何をした……って訳ではないが、やけに草臥れてしまった。
明日はゆっくり過ごそう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年03月29日(金) 『幼な子われらに生まれ』〜ウザイくても格好イイ男〜

白蓮 |MAILHP