HPの
読書禄に『二十三年介護』という本の感想を書いたのだが
ちょっと書き足りない感じがしたので、書き足しておこうと思う。
本の内容とは、あまり関係のない話なので、ここに書く方が良いかなぁ……と思って。
本の内容は、題名の通り23年間、夫を介護した妻と息子の手記である。
23年とは……あまりにも長過ぎやしないだろうか?
私など、父が8ヶ月入院していただけで「そろそろ勘弁してちょうだい」と思ったというのに
いつ終わるともしれぬ介護の日々とは、考えただけで気が遠くなってしまう。
しかし23年に渡る介護生活は、想像していたほど陰鬱な感じではなかった。
もちろん「楽チン」なものであるはずはないのだが
それでも「死にたくなるほど不幸」というものではなさそうな印象を受けた。
自分の身を振り返ってみて思うのだが
病人を抱えていたり、最高に貧乏だったりした時期が、今より不幸だったかというと
案外そうでもなかったように思うのだ。
不幸とか、幸せとか言うよりも「とりあえず毎日が精一杯」って感じで。
未来に色々と不安を抱くこともあるが
どんなことがあっても、どうにでもなっていくのではないかと思ったりした。
しかし、これは「行き詰まっていない」から言える言葉なのだろうと思う。
本に登場したご一家は、経済的にそこそこ恵まれていた家庭だったし
私の場合は、母はともかく、弟と私は「若さ」という武器があった。
ぢゃあ、どうしようもないくらい、行き詰まってしまったらどうだろう?
そうなった場合、同じ言葉が言えるかどうかは激しく疑問である。
何か一大事が起こった時に、社会のシステムがしっかりしてたり
そうでなくても、ガッポリお金を持っていたり、力強い助っ人がいたり
そういうのが重要なんぢゃいなかなぁ……と思ったりする。
「自分のことは自分で」って言うのが理想だが
あまりにも大きすぎる問題に直面した場合は、そういうことは言ってられないものだ。
とりあえず個人レベルで私が出来ることと言ったら
地道に貯金して、良い人間関係を作って、選挙にちゃんと行くことくらいだろうか。
「そういう事態」を経験しなくて済むなら、それに越したことはないと思うのだが……
『さんまのからくりTV』に登場するご長寿のように、いつまでも両親が元気でいてくれて
家族円満、愉快に日々を過ごせたら、それが最高と思うが
そうでない場合も、ちゃんと「得るものはある」と思いたい。
いま親しい友人が、母上の介護に取り組んでいるだけに無関心ではいられないのだ。
気休めかも知れないが、最悪っぽく思える日々の中にも「何か」あると思う。
なんとなく、思いつくままに「介護」がらみのことで書いてみたけれど
そろそろ眠たくなってきたので、今日の日記はこれにてオシマイ。