白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年11月16日(土) 親孝行のかたち。

昨日は親子ほど年上のペンフレンドと遊びに行ってきた。
年齢差は大きいが、彼女は私にとって友人の1人に過ぎないので
食事をしたり、お酒を飲んだり趣味についての話をしたりと
同世代の友人と遊びに行くのと、なんら変わることはない。

昨日は私が仕事を辞めて初めて会ったということもあり
愚弟の話や、私のこれからの身の振り方について熱く語ったりして
なにげにシリアスな話題が多く
なかでも「親孝行」についての話には、色々と思うことがあり
昨日彼女と話していて思ったことについて書き記しておこうと思う。

昨日は「白蓮さんは親孝行だねぇ」なんてことを言われて
謙遜ではなく真顔で「とんでもありません」と否定してしまった。

だいたいからして「親孝行」の定義が微妙である。
親不孝については「逆縁の不幸」を筆頭にして
それなりに決まった形があると思うが
親孝行に関しては「これぞ」という形があるような、ないような……
親の意向に沿って生きてみたとして
それが子供にとって不幸だったら、親だって幸せとは言えないだろうし
そうかといって、子供が好き勝手幸せに生きることで
親が嘆くことだって、あるかも知れない。
私など「親孝行」という話題を持ち出されると耳の痛いことこの上ない。
なにしろ私は乙女な母のドリームをことごとく無視しているのだから。

乙女な母の理想の娘というのは
そこそこ可愛らしくて、ちょっぴりオバカで、心優しく
世間一般で言われるOL生活を、ありきたりにおくって
早い時期に、それなりの人と結婚して、子供をもうけ
孫を連れて遊びに来てくれるような娘……だったりする。

哀しいことだが、私にはビタ一文もあてはまらない娘像だ。

昨年のクリスマスに、乙女な母は私に本をプレゼントしてくれたのだが
その時に、乙女な母が言った言葉は
どうしようもなく切ない……というか耳が痛かった。

ここ何年かで1番嬉しそうやね。
いつもは何をあげても、そんなに嬉しそうじゃないのに
嬉しいような、さみしいような……

残念なことに乙女な母がプレゼントに選んでくれる
「女の子(女性)が喜びそうなアイテム」というものに対して
私はあまり興味がなかったりするのだ。
もちろん、喜んでみせるくらいの大人げだってあるし
プレゼントじたいは嬉しかったりするのだけれど
「すごく欲しかったもの」と「どうでもいいもの」を前にして
その喜び方が違ってくるのは、仕方がないというか……

もうちょっと「乙女な母好み」になってもいいかも♪
……とは思うのだが、どうしても上手くいかないし
これからも上手くいきそうにないあたりが、どうにも申し訳ない。
丁度、いまは新しい職について考えている時期なのだが
たぶん、それも乙女な母的の夢を壊してしまうだろうと思うだけに
なんとも複雑な心境である。
母娘といえど、別の人格なのだから
求めるものが違っているのは当たり前だと思うのだが。

年上の友人は、たぶん私と感覚的に通じるところがあるからこそ
親子ほど年が離れていても友人なのだろうなぁ……
年上の友人と話をしていて、色々と考え込んでしまった。
「親孝行」と、ひと言で言っても難しいなぁ〜と思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2001年11月16日(金) パッショナート!

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