白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年07月18日(木) 頭の中が真っ白けのけ。

くたびれびれで頭の中が真っ白けのけ〜なんである。
週明けの木曜日から、こんな調子でイイんだろうか?
20日の土曜日は海の日でお休みだし、まぁ、いいか。

今日は東京に出稼ぎ(?)に行ったJさんからメールがあった。
「元気にしています」とのこと。
短い文章の中に『頑張ってます』がギュギッと詰まっているようで
なにやら、ちょっぴり泣けてしまった。

やっぱり「離れている」というのは、もどかしい。
メールでも、手紙でも、電話でも、伝えられることはあるけれど
やはり顔を見て、話をして、食事をして、お茶を飲んで……という
生の付き合いとか、息遣いの感じられる距離での付き合いとか
そういうダイレクトなことが出来ないというのは少しサミシイ。

なんと言うか……一緒にいたからって問題が解決する訳ぢゃなくても
「そこにいる」ってだけでホッとしたりすることがある訳で。
誰かの背負っている大変なことを肩代わりすることなんて出来ないし
かりに、肩代わりできたとしても、それは、それで嫌なのだけど
「見てるだけ」ってのは、どうも歯がゆくていけない。
いや……もちろん近くにいたって、どうにも出来ないことは多いのだが。

なんとなく、遠くにいる人について考えてみたりした。
ネットで知り合った人のほとんどは「遠くにいる人」だったりするし。
そりゃぁ、言葉で伝えられることだって、大したものだと思うのだが
たま〜に、無力感のようなものを感じることがある。
やっぱり「生」にはかなわないよなぁ……みたいな。
ある意味、無力感を感じるということは
「本当なら自分ってば役に立つ人間だし」とか思っている証拠のようで
そんな風に考えると、それはそれで恥かしいような気もする。
立派な人間でなくて良いので、そこそこ役に立つ人間になりたい。
もちろん自分が幸せで……ってのが大前提なのだが。

頭の中が真っ白けのけ〜とか書きながら
ダラダラと湿り気たっぷりの事を書いてしまった。
やっぱり頭の働きが鈍くなっているのかも知れない。
↑とりあえず言い分けとかしてみた。
みんなが元気でいられると良いのになぁ…とか思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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