白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年07月11日(木) 夾竹桃の花。

通勤途中、夾竹桃の花がやたらと目につく季節になった。

私は子供の頃、夾竹桃の花が大嫌いだった。
どんなに暑い時でも、傍若無人に咲いているピンクや白の花をみると
訳もなくイライラしたものなのだが
今では無意識のうちに、夾竹桃の花を追いかけているようなところがある。
だからといって「大好きな花」というほどでもないのだが
真夏の盛りでも萎れることなく咲いている花というのは
貴重なもののように思えてしまって
そんな風に思うと、邪険に思うのが悪いような感じがするのだ。

夏の花というと、朝顔や向日葵が真っ先に思い浮かぶのだけれども
朝顔や向日葵は育てて咲く花だが
夾竹桃は放任していても適当に咲いている花である。
自分勝手に咲いてしまうという部分も
夾竹桃が、いまひとつ可愛げがないと感じる要因なのかも知れない。

学校の校庭、団地の敷地内、公民館の横丁の空き地……
ど〜でもいいような場所に、ど〜でもいいような風情で咲いていて
その曖昧な感じが、ちょっとしたマイ・ブームだったりする。

ちなみに夾竹桃は、その枝にたいした毒を持っているのだとか。
アメリカで、バーベキューの串の代わりに夾竹桃の枝を使った人が
夾竹桃の毒で死んでしまった……ということがあったのだとか。
どこにでもある馴染みの花に人を殺すだけの毒があるという事実は
ちょっぴりショッキングな感じがする。
毒のある植物は、身近にも多くある訳で
たとえば鈴蘭の根っ子にだって、人を殺すほどの毒があるのだけれど
綺麗な花には棘があるという言葉とはちょっと違うが
可憐な鈴蘭にも、毒があるのだなぁ……と思うのはロマンチックな感じだが
どちらかと言うと庶民派的な夾竹桃が毒を持っているという事実は
あまりにも身近な植物過ぎて、なにやら本気で恐い感じがする。

夾竹桃の花を見るたびに「なんとなく可愛げのないヤツラだなぁ」と思う。
だが、それと同時に生命力の逞しさには魅力を感じる。
生き抜く強さと、したたかさとを合せ持った夾竹桃は
だからこそ、あちこちで無遠慮なまでに咲き誇っているのだろう。

あまり好きな花ではないが、夾竹桃が夏空に映えるのは事実だし
通勤のお楽しみだったりするのも事実なんである。
そんなに好きぢゃないのに、好きかも知れない……ってのは
なんとなく癪にさわるのだが、これもまた紛れもない事実な訳で。

明日も頑張って働くぞ……と思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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