ちょっと前の日記に「本が捨てられない」って話を書いたのだけれど
今日は、そのことについての一考察。
「どうして捨てられないのか?」というのを自問自答してみた。
よく読み返す本や、もう手に入りそうにない本を捨てられないというのは
なんとなく自分でも納得できるのだが
実際は「さほど好きでもなく2度と読まないかも知れない」本というのも
けっこう、たくさん本棚にのさばっていたりなんかする。
そんな本は捨てちゃってもいいのではないだろうか?
……と思うのだが、これが、やっぱり捨てられない。
どんなに印象が薄い本でも、たいして面白くなかった本でも
捨てようと手に取ってみたら、当時の記憶がフィードバックしてきて
なんてなく捨て難い気分になってしまうのだ。
その本を読んだ時に自分が考えていたこと……とか
その本を買った時のこと(いつ・どこで・だれと買ったか)…とか
その本を買った当時、自分が生きていた環境……とか
本を手に取って、しみじみ思い出に浸ってしまったが最後
「あぁ、やっぱり置いておこう」ということになってしまうのだ。
どうやら私にとって「本」は記憶の鍵になっているようだ。
私の場合は「本」なのだけれども、個人の趣向によって
「もの」じたいは違っていても、記憶の鍵になるアイテムってのは
多かれ少なかれ、それぞれに持っているんぢゃないかと思ったりする。
写真だったり、音楽だったり、映画だったり、アクセサリーだったり……
その「もの」を見ただけで、記憶がいっきに呼び覚まされてしまうような
そんな特別なアイテムが、存在するような気がする。
「もの」を捨てるのが嫌なのではなくて
もしかしすると「記憶」を葬ってしまうのが惜しいのかも知れない。
「ものが捨てられない」というのは
本来、そういう事なんぢゃないかと思ってみたり。
私の記憶の鍵穴は「卒業アルバム」にはピクリとも反応しないのに
「本」には過剰に反応してしまうのだと思う。
私は、あまり昔のことに固執するタイプではないし
過去より現在、そして未来が大切だと思っているのだけれども
だからって、何もかもキレイ・サッパリ捨てきる度胸はない訳で……
だから……だから私は
処分しようと思っていた本をギリギリまで手元に置いておこうと決めた。
もしかしたら、突然「もう、いらない」って思う日が来るかも知れないし。
エキサイティングな記憶が、どんどん生産されて
古い記憶なんて、どうだって良くなっちゃうかも知れないし。
……成り行きに任せてみようと思う。
まわりくどくなってしまったけれども
ようするに「しばらく本は捨てないぞ」ってことが書きたかったのだ。
今日、色々と書き散らしたことは、
結局のところ、本を手元に置いておくことへの言い訳。
もしかすると、ちよっとだけ当たってることもあるかも知れないけれど。
自分の中で進んでゆく方向を定めてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。