白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月22日(月) 売られたピアノと薔薇の花と。

夢見る建築士Kさんがピアノのレッスンをはじめた。
大好きなジャズの曲を自分で弾くのだと、電子ピアノを購入して
ただいま、せっせと修行中……なのだけれども
独学でピアノが習得できるなら、誰だってピアニストになれる訳……
Kさんは日々、苦闘しておられるご様子。
そんなこんなの経緯があって
私はKさんに楽譜の読み方だの、リズムの取り方だのを
昼休みなんかに、ちょろちょろっとレクチャーしている。

Kさんにピアノ講義をしているとノスタルジックな気分におちいってしまう。
なぜなら、かつては私もピアノを弾いていたのだ。
6歳から、20歳まで習っていたにしては下手っぴだったし
当時していた習い事の中では、ピアノがいっとう嫌いだったのに
習い事から離れて今では、ピアノが1番懐かしく思えるから不思議である。

ピアノ教室で、私は決して出来の良い生徒ではなかったし
長い月日の中で、始終「ピアノなんて辞めたい」と熱望していたのだが
「自分で決めたことは最期までやり通しなさい」という両親の方針から
「ピアノを辞めるなら、他の習い事も辞めてしまいなさい」との条件ゆえに
渋々習い続けていたに過ぎないのだけれども
教えを乞われば、アドバイスできるだけの知識は残っているようで。
何年も弾いていなければ、指も、ろくに動かないだろうし
難解な楽譜は読めなくなっていると思うのに。

以前、住んでいた家を処分して、今の長屋に来た時も
ピアノは私と共にあったのだけれども
父が入院して、1人暮らしをしていた愚弟が長屋に戻ってきた時に
置いておく場所も、心の余裕もなくてピアノは売ってしまったのだ。
あの時は、前に進むのに必死で、哀しいとか思う暇もなかったのだけれども
ピアノを売り払った日に、ペンフレンドが励ましの意味を込めて
ひと抱えもあるオレンジ色の薔薇の花束を贈ってくれた事だけは
今でも鮮明に覚えているし、その事は、きっと一生忘れない。

Kさんにピアノの知識をレクチャーしていると
私も、もう1度ピアノが弾きたいなぁ……と思った。
何年先になるかは分からないけれど
いつか、きっと自分のためにピアノを買おう。
手放したピアノは、もう戻っちゃこないけれど
新しいピアノを買おう。とびきり音の良いヤツを。

なんとなく、思い出にひたってみたりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。


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