白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2002年04月21日(日) 真面目を恥じちゃいけないよ♪

私は他人から「真面目ですね」と言われることが多い。
リアルでも、ネットでも、しょっちゅう言われる言葉だ。
ご丁寧に、真面目の上に「生」だの「糞」まで付けてくれる人もいる。
↑「生真面目」「糞真面目」ってことですな。
私は自分を真面目な人間だと思っているので
真面目と呼ばれるのは、ちっともかまわないんだけれど……

真面目って言葉が、否定的に使われることが多いんぢゃないかと思う。
そして「真面目であること」と「道徳的であること」を混同している人が
なにげに多いようにも思われるんだけれど……

大辞林による「真面目」の定義はこんな感じなのだ♪
(1)本気であること。真剣であること。また、そのさま。
(2)誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。

どうでせうか? 「真面目」って、ぢつは、こんな意味だったりするんだな。
「あっ。私ってば、ぢつは真面目だったんだ」とか
「あっ。私ってば、真面目だと思ってたけど、ぢつは違うかも」とか
「そんなの知ってらぁ。わざわざ書かなくたって、いいぢゃん」とか
人によって感想は違うだろうけれど。

要するに「真面目」って言葉の意味を踏まえてみると
真面目な人間ってのは……
シルバー・シートに絶対座らない…ってな人のことでも
エロ話なんて大嫌い…ってな人のことでも
道楽なんて、したことないや……ってな人のことでもないんである。
上に並べてみたのは「真面目」というよりも「道徳的」なのだと思う。
「道徳的である」のと「真面目である」のは根本的に違うのだ。

内向きで、地味な人間だからって真面目だとは限らないし
外向きで、派手な人間だからって不真面目だとは限らない

どうやら「真面目」という言葉には根の暗いイメージがあるせいか
真面目と言われてフリーズしちゃう人が多いような気がする。
実際、いぢわるな意味で使われることか多い言葉だし。
本気で、真剣で、誠実に生きてるのって、格好イイと私は思う。
真面目であることを恥じる必要なんて、どこにもありゃしないのだ。
……って言うか、本来の意味で真面目ぢゃない人って
なんか人生損してるよなぁ〜とさえ思ってしまう。
↑これについては私の個人的な、余計なお節介的感想なのだけれども。

いいぢゃん♪ 真面目だって♪ 胸はって行こ〜♪

私は真面目でありたいと思うし、真面目な人間が好きだ。
不真面目であるのが悪いとは言わないけれど
真面目な人の行動や、言葉ってヤツは
ひたむきであるがゆえに、心を揺さぶられる事が多いから
その分だけ、真面目な人が好きなんだと思う。

「真面目」について、真面目に語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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