白い木蓮の花の下で ~逝くときは白い木蓮の花の下で~ 目次|過去|未来 【検索からお越しの方へ】
私は他人から「真面目ですね」と言われることが多い。 リアルでも、ネットでも、しょっちゅう言われる言葉だ。 ご丁寧に、真面目の上に「生」だの「糞」まで付けてくれる人もいる。 ↑「生真面目」「糞真面目」ってことですな。 私は自分を真面目な人間だと思っているので 真面目と呼ばれるのは、ちっともかまわないんだけれど…… 真面目って言葉が、否定的に使われることが多いんぢゃないかと思う。 そして「真面目であること」と「道徳的であること」を混同している人が なにげに多いようにも思われるんだけれど…… 大辞林による「真面目」の定義はこんな感じなのだ♪ (1)本気であること。真剣であること。また、そのさま。 (2)誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。 どうでせうか? 「真面目」って、ぢつは、こんな意味だったりするんだな。 「あっ。私ってば、ぢつは真面目だったんだ」とか 「あっ。私ってば、真面目だと思ってたけど、ぢつは違うかも」とか 「そんなの知ってらぁ。わざわざ書かなくたって、いいぢゃん」とか 人によって感想は違うだろうけれど。 要するに「真面目」って言葉の意味を踏まえてみると 真面目な人間ってのは…… シルバー・シートに絶対座らない…ってな人のことでも エロ話なんて大嫌い…ってな人のことでも 道楽なんて、したことないや……ってな人のことでもないんである。 上に並べてみたのは「真面目」というよりも「道徳的」なのだと思う。 「道徳的である」のと「真面目である」のは根本的に違うのだ。 内向きで、地味な人間だからって真面目だとは限らないし 外向きで、派手な人間だからって不真面目だとは限らない どうやら「真面目」という言葉には根の暗いイメージがあるせいか 真面目と言われてフリーズしちゃう人が多いような気がする。 実際、いぢわるな意味で使われることか多い言葉だし。 本気で、真剣で、誠実に生きてるのって、格好イイと私は思う。 真面目であることを恥じる必要なんて、どこにもありゃしないのだ。 ……って言うか、本来の意味で真面目ぢゃない人って なんか人生損してるよなぁ~とさえ思ってしまう。 ↑これについては私の個人的な、余計なお節介的感想なのだけれども。 いいぢゃん♪ 真面目だって♪ 胸はって行こ~♪ 私は真面目でありたいと思うし、真面目な人間が好きだ。 不真面目であるのが悪いとは言わないけれど 真面目な人の行動や、言葉ってヤツは ひたむきであるがゆえに、心を揺さぶられる事が多いから その分だけ、真面目な人が好きなんだと思う。 「真面目」について、真面目に語ってみたところで 今日の日記は、これにてオシマイ。 |