白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月17日(水) 怨みつらみは時間を超えて。

前の家に住んでいた時に親しくしていた爺様の訃報を聞き
母と2人でお線香をあげに出掛けた。

私の住んでいるところは大阪府といっても
通天閣だの、道頓堀だのUSJからは、ほど遠く
少し田舎びた雰囲気のある地域で今でも「旧村」というものがある。
爺様の家は立派な旧家で、ぞくにいう本家筋と呼ばれる家である。
私と母は、遅ればせながら訃報を知った旨を喪主である婆様に話して
8畳2間続きの立派な和室にしつらえられた
爺様の祭壇にお線香を供えた。

親しくしていた爺様だったが天寿をまっとうされたせいか
残念だとは思ったけれど、胸が千切れるような哀しみは感じなくて
夫を失ったばかりの婆様も実に淡々としておられた。

お参りの後は、近況報告だの、世間話だのと談笑をしていたのが
いつしか、婆様の昔語りとなっていた。
婆様は、和室の鴨居に飾ってある「先祖の写真」を見上げて
「姑には散々、いじめられてねぇ」とて
旧家の嫁として苦労してきた日々を語ってくれた。
嫁姑の問題は永遠のテーマではあるのだけれども
格式のある家だったり、財産がある家の場合、その根っこは深い。

婆様は、姑が死の床についた時に、ある復讐をしたのだそうな。
もう長くはないだめう姑の耳元で

いままで、散々、馬鹿と罵られてきた私ですが
あんたは、その馬鹿に下の世話をしてもらっているんですよ。
そして、もうすぐ馬鹿に看取られて死のうとしているんですね。
ほら、もう死ぬのが分かるでしょう。

……と囁いて、嘲笑したというのだ。

婆様は「年をとっても怨みつらみは忘れられるものではない」と言った。

なんて恐ろしいんだろう……と思った。
私が恐ろしいと思ったのは、婆様がした復習ではなくて
恨みつらみは、長い時間が経っても、決して消えないということが。

爺様の葬儀の時、爺様の義兄は葬儀の時に
「俺と○○は、ずっと扱いが違っていた……」とて
つらつらと恨み言を並べたのだという。
爺様と、爺様の義兄の複雑な関係については省略させていただくけれど
爺様の義兄は、八十歳を過ぎてなお、爺様を恨み続けていたのだ。

時間には哀しみを癒す力はあっても、怨みを消す力はないのかも知れない。

私にとって八十歳という年齢は、あまりにも遠過ぎて
想像のつかない世界なのだけれども
その年齢に達しても、長い時間を経ても
なお怨みを抱き続けなければならないということに
人間の恐ろしさと、哀しみを感じた。

立派な和室に飾られて写真を見上げる婆様の表情は怨みに満ちて
いまなお、それは薄れていない。

できるなら、怨んだり、怨まれたりせずに生きたいと思う。
この世の中で恐いのは幽霊だの、物の怪だのではなくて
生きている人の心……怨みとかいった類の力ではなかろうか

なんとなく、そんな事を考えてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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