白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月13日(土) 死を悼む言葉。

ある方の大切な人が他界された。

お悔やみでも……と思ったのだけれども
気の効いた言葉が思い浮かばず「ご冥福をお祈りします」と
形式通り、型通りの言葉し出てこなかった。

私は「形式通り」というのは好きではないのだけれども
こんな場合には「形式通り」が1番しっくりくるような気がする。
どんなに慰めの言葉をかけたとしても、哀しみが減る訳ではないし
「お疲れが出ませんように」などと言ってみたとしても
長患いで他界される場合だと
残された人間は心身ともに疲れきっている事が多いし
突然の死だったりすると、精神的ダメージが大きかったりするし。

死は生命あるものに必ず訪れる当たり前の過程なのだけれども
死にゆく人と関わっていた人間にとって
その人の死は「当たり前」のことではなくて「特別」なことだと思う。
理屈では割り切れない感情があるからこそ
哀しかったり、ショックだったりする訳で……
その気持ちばかりは、誰かと分かち合うことができないものだと。

気持ちを分かち合えたり、分かち合えなかったりするから
誰かと一緒にいて幸せを感じたり
誰かと一生にいても孤独を感じたりするのかも知れない。

その哀しみを分かち合うことなど出来るはずもなければ
慰めることが出来るはずもなく……
簡単に、慰めたりなんか出来ないかったりするのが現実な訳で……

死を悼むのに、言葉は、あまりにも頼りないような気がする。

哀しみが永遠に続くものだとは思わないし
死という過程が、単に不幸なものだとも思っていないのだけれど
それでも、簡単に思い切ることなど出来ないし
「生」とか「死」とかいうものは
頭の中で処理してしまうには、あまりにも重い。
その重さは、人の生命の重さなのかも知れないけれど。

なにやら書いていて、自分でも訳が分からなくなってしまった。
大切な人を亡くされた方の哀しみが
1分でも1秒でも早く癒されますように……
亡くなられた方のご冥福をお祈りしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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