白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年01月13日(日) 「悩み」と「苦しみ」は似ているようで似ていない。

先日、親しくしている友人……から
「あんたって、つくづく悩みのない人間やなぁ」
……と、しみじみ言われた。

いくら親しいからって失敬にもほどがある!

……と思った私に友人は続けた。
「あんた、いま失礼なこと言うなぁ…とか思ったやろ?」
なんだかお見通し過ぎて、不愉快モードな私に友人はさらに続けた。
「ぢつは私も、人から同じこと言われて気が付いてん」

そして友人は「悩み」と「苦しみ」についてウンチクを垂れた。

たとえば大切な人が死んでしまったという場合……
誰にでも平等に「哀しみ」「辛さ」「さみしさ」
……といった苦しい感情が襲ってくる。
ただ、その感情を受け取るアンテナのパワーには個人差があるので
「苦しみ」という感情の受け取り方は、人によって違ってくる。
強く受け止める人もいれいば、そうでない人もいる。
そして……「苦しみ」が外部からの作用で薄らいでくる時
ここで、初めて「悩み」が襲ってくる。
「人は何故死ぬのか」「人が生きることの意味ってなんだろう?」
といった具合に。
それを突き詰めて考えていくのが「悩み」である。
これも、強く受け取る人もいれば、そうでない人もいる。
……そして友人は続けた。

あんたは、けっこう大変な経験してるかも知れんけど
ちっとも悩んでないやん。
苦しい思いはしてると思うけど、どっかの時点で
「死んでしまったもんは、しゃぁないし」とか
「まぁ、それが人間ってもんやっちゅ〜ねん」みたいな感じで
適当に折り合いつけて、やってるやろ?
本当の意味で「悩む」人間は、そっからスタートするねんで。

なるほど……「うん」も「すん」も言えない素晴らしい理論だと思った。。
そう言われてみると、確かに私には「悩み」などないのかも知れない。
思い起こせば友人にこぼす愚痴にしたって
どこか「自己完結」していて「事後報告」だったりする事が多い。

さらに友人は続けた。

「悩む」タイプの人間も「苦しむ」タイプの人間も
けっきょく、どっちも、どっち…って感じやよなぁ〜〜〜

「悩み」と「苦しみ」を友人が語る理論で分類してみたと仮定して
どちらかを選べと問われても、私は、どちらも選ぶことなんて出来やしない。

どっちも嫌に決まってるぢゃん。

タイプの違う人間が生きていると「重荷」の種類だって
それぞれに違っていて当たり前なのだ。
どちらかが「得」で、どちらかが「損」だなんて事はありえないと思う。
感じたり、考えたり……アンテナの種類は違っていても
どちらも「受け止める器官」に変わりはないのだから。
その重さを較べることなんて、できないのだと思う。

ここ何日か、軽いノリの日記を書いていたので
ちょっと原点に返って(?)クソ真面目な物を書いてみた。
面白かったり、そうでなかったり……色々ある訳で……
まぁ、そんな、こんなで、今日の日記は、これにてオシマイ!

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<追記>
爽やかな3連休の中日に陰気な話でかたじけないです。
「いま」落ち込んでいるとか、そ〜ゆ〜訳ではないんですが
なんとなく「いま」書きたいなぁ〜と思った次第で。
良い休日を過ごして、ちょびっとでもリフレッシュして
新しい1週間をお迎えくださいまし。まし〜まし〜〜
↑エコーかかっってます。

<再追記>
なんだか、風邪引いてしまった…っぽいので
ちょっとばっかし日記を留守にするかも知れません。
体調が復活したら、また、お逢いしませう。


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