白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年10月13日(土) すべての・・・は消耗品?

昨日「My追加」について色々と考えながら
ほかの方の日記を覗いていたらば

「My追加」していただければ励みになります。
「投票」していただければ励みになります。
・・・と書いておられる方が想像以上に多くいらしたので
思い切って「My追加」を利用することにました。

どんな感じで表示されるのか、よく分かっていなかったので
まずは、自分自身の日記を「My追加」してみして・・・
ふむふむ。と納得して、ちょっと使ってみました。
物事、屁理屈こねて考えるばかりが能ぢゃありませんね。
だいたい、こんなことについて「あ〜だ、こ〜だ」考えてるのって
非生産的過ぎて、情けなくなってきます。

・・・と、まぁ、この話はここでオシマイ。


昨日は仕事帰りに古書店で
村上龍 『すべての男は消耗品である。』 角川文庫 を50円で購入しました。
彼の小説やエッセイは毒気がキツクてどうも苦手なのですが
その考え方は、なかなか賛同できる何かがあるので
毒気にあてられて「うぇっ」となりながらでも、結構読んでたりします。
読んでるってことは、心のどこかで好きなのでしょう。

『すべての男は消耗品である。』はちょっとマイルド・ティスティでした。
一応、生物学的に「女」の部類に俗する私といたしましては
「男って大変だねぇ」と思わず溜め息を漏らしてしまいました。
「男の哀愁」とか「男の辛さ」とか
その他諸々の「大変さ」がスコールのように降り注いできたような・・・
心の一部をナイフでメッタ切りにされたような・・・そんな感じ。

みんな血を流して暮らしているんだろうか?

なんだか死にたくなっちゃうような酷い言葉が連ねてあったのに
さほどガツンとこたえなかったのは
作品の中に「おぅ! おぅ! みんな頑張れよ」
・・・ってなエールが込められているからだと思います。
こんな道徳的に評価されるのは村上龍の本意ではないでしょうけれど。
↑村上龍の作品に対していつもそう感じるわけではありません。
 『イン・ザ・ミソスープ』などは読後しばらく凹みました。

ドロドロの中にも爽やかさは見出せるし
また、その反対もしかり。

エミィ(山田詠美)も解説していたけれど
「消耗品」は男に限ったことではないと思う。
私は女だけれど、かなり摩滅していますもの。
メンテナンスに励み、消耗に耐えうるモノになりたいです。


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