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2008年03月09日(日)[秋津、久し振りに寝たので。

両親と山の上のフロに行き、昼食を取って帰宅後、夕飯まで寝てました。
秋津です。
こんな日曜日を無為と思う時もあるけど、今日はかなり有意義だった。
寝れたことが有意義です。
目も脳ミソも休められました。

んで、今日までの日記を書いて、ネット巡回をダラダラやって、
ここ最近いろいろ考えてたことを書こうかな〜と言う気になりまして。


唐突ですが。
私は、自分の背中に羽根が生えてるくらいに勘違いしてるんだろうな、
と最近つくづく思うんです。
そして図々しくも、いつか自分が何物かになれると思ってるんです。
あとは、人生が永遠に続くと思ってる。
でも、今日死んでもおかしくないな、とも思ってる。
いろいろ訳わかんなかったり矛盾したりしてるとは思いますが。

まず、お金がないとか、親が結婚を心配する年齢になったとか、
いろんな足枷みたいなのが、年を食うごとに増えてるなぁとは
いい加減気付いているんですが、それ以上に、というか
それだからこそ、1カ所に留まりたくないな、と思う気持ちが強くなってきた。
多分、そうしないと生きられないんだと思うんですよね。
止まったら終わりだと思う。
まぁ、私を知る人たちの私への印象と、私の思いが一致してるとは思わないけど
私はいつでも止まりたいと思って生きてるんじゃなく、隙あらばどこかへ
飛んで行こうと、日々うずうずして生きてるってことです。

そして、こんなにスタートが遅いとか、寄り道しすぎってことには痛いくらい気付いてるんですが、
私は、まだ自分が、何かになれると思ってる。
それはクリエイターとしての当然の目標なのかもしれないけど、
そして血を吐くような努力とか、不眠不休で取り組むとか、そんなに出来ているつもりもないけれど、
まだ自分が何かになれると思ってる。
そのゴールはまだ自分でもわかってない。
でも人生の終着点とか、そういうのを考えるんじゃなくて、電車が止まる
その瞬間まで、自分は何かになれると思って生きてたい、と思うのです。

ほぼ日刊イトイ新聞(http://www.1101.com/)に書いてあった言葉で、
「Learn as if you will Live Forever,
Live as if you will Die Tomorrow.」
(永遠に生きるように学び、明日死ぬかのように生きろ)
ってのがあったんですけど、私の今の精神状態はそんな感じだなぁと思う。
というか、ずっとそうなのかもしれない。
継続的に学んで、刹那的に生きることなのだと思う。
人生がずっと続くとは思っていないけど、学ぶことをやめようとは思わない。
何だかそれは、ともすると日本的でない生き方なのかもなぁと思ったりするのです。

たとえば、「◎◎歳にもなって…」って言い方を日本人はするけれど、
アメリカでは60過ぎても大学に行って20歳そこそこの若者と一緒に学ぶ人は
決して珍しくないし、日本では考えられない年齢に仕事を変えたり、
多分「◎◎歳にもなって…」って言い方をされたりするのは少ないと思う。
日本的な考え方では(最近は結構自由度が増したと思うけどそれでも)、
22歳になったら大多数の人間は就職をして、その後10年以内には結婚、
子どもを持って、子どもを育てて、それなりに幸せで、子どもが自立して
自分も定年になったら夫婦で旅行でも、なんていう『世間一般』の幸せが
まだあると思う。
でも私は、それは何か違うな、と思う。
間違ってるんじゃなくて、それが幸せじゃないって言ってるんでもなくて
でも私には合わない、と思う。
上に書いた「Learn as if.....」って言う言葉が、 『世間一般』の生き方と
相反してる、と言うんでもないと思う。
ただ、私がしてる今の生き方は、大多数の人が私の年齢で選ぶ、
『誰かのために生きる』
っていう道とは決定的に違う気がする。

なんか、そんなふうに思います。
かと言って、自分が優れてると思って生きてるんでもないよ、と言いたいです。


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