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2003年12月18日(木) さよならの日

本当に本当に残念なことに。
お腹の赤ちゃんはお空に帰ってしまいました。


12月17日のことでした。
いつものように仕事をしていたのですが
どうもお腹の張りがいつもより強い感じがしました。

昨日からお通じがなかったので、そのせいもあるのかな、と
その時は気にしてなくって。
でも、やっぱりなんとなくいつもより強い。
そのうちじわっと下着に何かついた感じがして
トイレに行くと真っ赤な出血が・・・


もうその時は動揺しまくってしまって
同僚に知らせてそのままかかりつけの病院に電話。
車椅子で玄関先まで運んでもらってそのまま直行しました。


タクシーに乗っている間にも
お腹の張りはどんどん強くなっていくのがわかりました。
ただただ心の中で祈るばかり・・・
「もうとーちゃんもかーちゃんも
 オマエがやって来る準備も覚悟もできてる。
 でも、今はまだダメだよ。まだまだ早すぎるよ。
 がんばって・・・・お願い。」


病院に着いて、まず尿を採るよう言われたのですが
採ったおしっこが真っ赤なのを見た看護婦さんが
すぐ診察台に入れてくれたのですが
先生が診察するかしないかのうちに
バシャーッと水風船が割れた時のような音がしました。
大量に破水したのです。


超音波で赤ちゃんを見ると
心臓は動いてはいるけれど時々止まるのがわかりました。
もう子宮内にはほとんど羊水が残っておらず
こうなってしまったらもう助からないと言われ
出してあげないといけない、と・・・・

それを聞いた瞬間はすぅっと目の前が真っ暗になりました。
泣くつもりはなくても勝手に涙が流れてきました。
絶望する、というのはこういうことなのでしょうか。
泣いても何をしてももうどうしようもない虚無感。


そのまま即入院となり、病衣に着替え陣痛室に寝かされて
先生から説明を受けました。

考えられるのは子宮の入り口の筋無力症。
ただその割には子宮の頸管が長いので
もしかしたら何かの感染や炎症が原因かもしれない。
普通なら今の時期はぴったりふさがっているはずのものが
私の場合少し開いてしまっていたと。
そこから卵膜が飛び出して破れてしまったのではないか。
けれど普通は少し開いた程度では破水するほど卵膜は飛び出てこない。

それらを考えると、子宮の収縮が結構強かったのでは?
お腹、前から張ってなかった?
無理しなかった?重いもの、持ったりしなかった?


・・・愕然としました。
お腹の張りは妊娠のはじめっからちょくちょくあったし
休めば治まっていたのでこんなものだと油断してたんです。
安定期に入っていたし、油断してたんです。

私がもっと早くに気づいてあげていたら
もしかしたら・・・・
私のせいなんだ・・・

そのうちに、同僚からの連絡を受けただーりんが
陣痛室にやってきてくれて、一緒に今後のことを聞きました。

とにかく破水してしまったので
子宮にいつまでも赤ちゃんをおいておくと
感染症などの恐れもあり危ないこと。
赤ちゃんはある程度育っているので
普通の分娩のようにして出してしまうこと。
羊水がほとんど残っていないので
胎盤より先にうまく赤ちゃんが出てくれるか難しいこと。
胎盤が先に出てしまうと大出血の恐れもあること。

あとはあまり覚えていないのですが
とにかくいろいろと問題があることを説明され
これからそのための前処置をすると言われました。


子宮の中に足りなくなった羊水の代わりの風船と
子宮の入り口を広げるための機械を入れられたのですが
もうすでに赤ちゃんの足が出てきてしまっていて
なかなかうまく入れられずすごい時間がかかった気がします。

子宮の張りが結構強いので
あとは自然に子宮入り口が開くまで待つことに。
分娩が終了するまで、陣痛室で待機。
だーりんもしばらく傍にいてくれました。
お互い何も愚痴を言わず、赤ちゃんのことも言わず・・・
ただただ普通の会話をしていた気がします。
こうなった以上、何を言っても仕方ない
悔やんでも、赤ちゃんは帰って来ない。
誰も悪くない、誰のせいでもないんだ、と。

時計をみると3分おきに陣痛のような痛みと
強い張りを感じるようになりました。
本当に出産とおんなじなんだなぁ、と切なくなってしまいます。
本来なら、この先元気な赤ちゃんの産声が聞けるはずの痛みなのに。

苦痛に顔をゆがませていると
傍にいただーりんがそっと私の小指を握ってくれました。
恐る恐る、そぉっと・・・
だーりんは優しい。だーりんの赤ちゃん、ちゃんと産んであげたかった。


入院に必要なものを用意してきてくれるように頼んで
だーりんにいったん戻ってもらってから30分くらいあと。
その時はやってきました。


12月17日、午後4時16分。
110グラムの男の子でした。


看護婦さんに
「ダンナさんに赤ちゃん見るか聞いてみる?」
と聞かれたのですが、見せなくていいと断りました。

ちゃんとした成熟児とはやはり違うことは私はわかっていますが
何もわからないだーりんには見せるのは酷だと思ったからです。

全部の処置を終えて、病室に戻ってきたのは
午後6時になろうとしてる頃でした。
だーりんはずーっと待っていてくれてました。

夕食がすでに運ばれていて
だーりんに勧められるまま箸をつけたのですが
あまり食べられなかった・・

出血の状態を見て良ければ明日には退院できると言われたのですが
私は今すぐにでも家に帰りたい気持ちでした。
だって病室のすぐ前は新生児室があるのです。
元気に生まれた赤ちゃんの泣き声を聞くのがつらかったのです。

そんな気持ちをだーりんもわかっているようで
少し困った顔をしてました。困らせるつもりはなかったんだよ。
そういえば、去年の12月も、ここでこうしていたんだよね。
12月って、私達にとって何か悪い時期でもあるのかな。
何か因果のようなものを感じずにはいられません。


面会時間いっぱいまで、だーりんは居てくれて
そのあと消灯時間がやってきました。
看護婦さんが薬を持ってきてくれて飲みました。

おっぱいが張ってくるのを抑える薬。
本当に出産とおんなじなんだなぁ、と思いまた切なくなりました。

消灯後はずーっとTVのイヤホンをつけてました。
こうするといくらかは赤ちゃんの泣き声が聞こえないから。

体は疲れているのだけど全然眠れない。
夜中に何度も「早く家に帰りたい」と思いました。
ほとんど眠れないまま、朝になるのをただただ祈ったのです。


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みなみ [MAIL]

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