金色の夢を、ずっと見てる

2010年02月18日(木) 2/18 熊本崇城大学市民ホール

タイトルだけでなんの話かわかった人。


……同士ですね(笑)





哲ちゃんのコンサートに行ってきました。


なぜ熊本?という疑問は尽きないものの(笑)哲ちゃんが来てくれるだけで嬉しい。とりあえず、元気な姿を見せてくれて、彼の言葉で直接何かが聞けるならそれでいい…という気持ちで行ってきました。


中学3年の時の初めてのコンサート(ちなみにB’z。まだ地方のホールも満席にならなかった時期です)をスタートに、もう数え切れないほどいろんなコンサートに行ってます。最初の頃こそ何日も前からドキドキワクワクで
「何を着て行こうかな〜♪」
とか考えてましたが、最近では良くも悪くもすっかりライブ慣れしちゃって、本命のTMぐらいしか“ライブ前に緊張する”って事もなくなってました。




………のですが。






今回はもう1週間ぐらい前からそわそわしっぱなしで、2日ほど前からは動揺しすぎて日付を間違えそうになる始末。昨日なんて
「あれ?今日って何日だっけ?明日だよね?」
と朝から本気で混乱してるし。今日も、昼間は何度も携帯やカレンダーで日付を確認してました。こんなに緊張するのは久々。



仕事が終わって、着替えて近くのモスで軽く食べる。会場近くのコインパーキングに車を置いて、開演予定の15分ほど前に会場に入りました。

正直、
「チケットが取れないのもイヤだけど、あんまり席がガラガラでもイヤだよな〜。お客さん沢山来てくれるといいな〜」
なんて不安もあったんですが、会場前もロビーも結構な人の数。思わずホッ。

そして、入口で半券を取られた後に手渡された1枚のチラシ。アンケートかな?と思って何気なく見たら、そこには『握手会のお知らせ』という文字が!!!握手会!?

終演後に、希望者のみで握手会をするんだそうです。希望しない人はこっちから出てね、希望する人は誘導するからこっちに並んでね、っていう案内でした。うわーなんだそれ。絶対並ぶ!



チケット取りに動いたのが早かったせいか、はたまた申し込みが1枚だったせいか、席は端の方ではあるものの2列目という良席。ステージ上は、真ん中にピアノと2台のシンセサイザー、周囲に鉄骨というか鉄パイプのようなオブジェ(?)が哲ちゃんを中心に放射状に置かれただけのシンプルなセットでした。あ、でも私の位置からだと、哲ちゃんがピアノを弾いてると後姿しか見えないわ。




定刻を少し過ぎたところで、客電が落ちました。静まり返る客席。ステージ上もほとんどのライトが消え、ピアノに当たるスポットライトだけに。その中に、静かに哲ちゃんが歩いてきて、客席に向かって深々と一礼してピアノの前に座りました。弾き始めた曲は………なぜか『トッカータとフーガ』。


…………なぜ(--;



いや、それはまぁいいとして。ちょっと上で書いてる通り、私の席からはピアノを弾く哲ちゃんの後ろ姿しか見えないのですが、スーツのジャケットの背中に
「そういう加工なのか?」
と思うほどしわが寄ってたのが目につきました(笑)
「…麻のスーツなのかしら」
とか考えてるうちに、曲はglobeの『Feel like dance』に。


う〜ん、これはもう私の勝手な感想というか感傷なんですが、最初の曲はTMであってほしかった…哲ちゃんの原点はあくまでもTMだと思ってるもんで。


そしてトーク。まずは深々と一礼して
「長い間、いろいろとご心配、ご迷惑をおかけしました」
とお詫びのコメントから。『なぜ熊本から?』という疑問は本人も感じてたようで(笑)
「出身地でもないし…阿蘇山ともなんの関係もないし…」
とちょっと苦笑しつつも
「こうして招いていただいて、1人だけの、ピアノだけのコンサートをたくさんの人が見に来ていただいて、感謝しています」
とすごく嬉しそうでした。
「去年はサプライズで出ましたが(夏のa‐nationの事ですね)、ちゃんと告知してやるコンサートは今日が初めてです。小室哲哉のリセット、スタートの日を、見守ってください」




そして再びピアノに向かい、『My Revolution』。さっきのもだけど、厳密に曲の通りに弾くのではなくて、かなり自由にアレンジして弾いてました。印象的な部分は何度もリピートしたり、違う部分に飛んだり。でも弾いてる哲ちゃんの後ろ姿がすごく楽しそうで、聴いててジーンとしちゃいました。


曲が終わると、ファンにはおなじみのライター藤井徹貫さんが司会進行役として登場。うん、哲ちゃん1人じゃトークはどうなる事かと正直思ってたんだよね(笑)


ピアノで1人だけでやるのって初めてでは?という問いに
哲「もしかしたらすっごくマニアックなファンの人とかで『やったよー』とか言う人がいるかもしれないけど…僕が覚えてる限りでは、25年やってきて初めてですね」
徹「じゃぁかなりレア?」
哲「レアっていうか、もうほとんどナマですね」
ナマって(苦笑)さらに
徹「小室さんってピアノをちゃんと習ったことはあるんですか?」
という質問。
哲「家は本当に普通の家庭で…団地に住んでたんですよ、子供の頃は。だから家にピアノなんてなかったし、習ったこともないです。独学ですね。自分のピアノを持てたのって、プロになってからだったんじゃないかな。でもバンド始める時って、誰でも最初は独学でしょ?ちゃんとドラムスクールに行って習ってからバンド始める人ってあんまりいないじゃない。それと同じ感覚ですよ」
なるほど。確かにギターやらドラムやらは素人から始める人が多いよなぁ。なんとなくキーボードだけは、ピアノ経験者がやるケースが多いって感覚だったけど。まぁそれも、ギターやドラムに比べるとピアノってのが習い事として一般的だってだけの理由なんだけどね。




話題はシンセサイザーの話に。今日も、ピアノの上にシンセが1台乗ってて、あと哲ちゃんの左側にもう1台。2台ともピアノと連動して音が出るようになってるんだって。弾いてるのはピアノだけなのにシンセの音もしてるからそうなんだろうなとは思ってたけど、説明されるとやっぱちょっと不思議。哲ちゃんがピアノを弾くと、押さえた鍵盤が光るのが見えたんですよ。哲ちゃんがその話をした時に
「ごめんね、こっち側(哲ちゃんの背中を見る位置に座ってる)のお客さんしか(手元が)見えないと思うんだけど」
と言いながら光る鍵盤をちょっと得意げに弾いて見せるのがかわいかったです(笑)

哲ちゃんと言えばやっぱりシンセのイメージがある…という話で
「最近はテレビとかもよく見てて、お笑いなんかも見させてもらってるんですけど、僕のモノマネをしてくれる人ってやっぱこう(と両手を広げてシンセを弾くマネをして)いうのが多いんですよね。小室哲哉っていったらそういうイメージなんだろうな、と。だったらやっぱ今日もシンセあった方がいいかな〜と思って」
だそうです。一番派手だった時代にはテレビ出演時に30台ぐらい並んでた事もあって、徹貫さんの
「これは多分みんな思った事があると思うんですけど……あれって本当にあれ全部必要だったんですか?」
という質問に、会場大爆笑。哲ちゃん自身も笑いながら
「あれは、ちゃんと全部音が鳴ってたんですよ」
と教えてくれました。
「よかったら、you tubeとかで探して聞いてみてください」
だって。

「バブルの頃は、いろんな会社の人が使ってくださいって持ってきてくれたんですよ。テレビに映ると宣伝になるから。で、そういうのをどんどん使ってたらあんなすごい事になっちゃった。古館(伊知郎)さんに歌うシリコンバレーとか言われましたね」
と懐かしい話も。ベストテンとかに出始めた頃ですね。



ちなみに『My Revolution』はサビの部分とサビ前の部分は元々別々だった2曲をくっつけてできた曲だそうで
「途中で転調したりする僕のスタイルがここでできあがった…ような曲」
だって。つい先日和田アキ子さんから
「(My Revolutionを)歌ったで〜難しかったわ〜」
と連絡が来たそうです(笑)美里ちゃんの歌唱力のおかげもあって初めてオリコンで1位になった曲、と嬉しそうに話してくれました。当時のドラマの主題歌を別の誰かの作品とコンペのような形で争った曲でもあり
「まだ今みたいに携帯なんてなかった時代だから、喫茶店みたいな所で結果を待ってて何度もそこの公衆電話から電話して“決まった?”って聞いて…あの当時はそんなふうに比べて決められるのってイヤだなって思ったけど、今となってはいい思い出ですね」
と言ってました。


徹貫さんと知り合ったのもその頃だっけ?という話になり
徹「いや、『SELF CONTROL』の頃ですよ」
哲「あ、じゃぁ『My Revolution』より前だ。……その頃、僕、威張ってなかった?」
と聞いたから会場爆笑。
徹「いやいや、今と同じく、すごく腰の低い人でしたよ(笑)木根さんよりいい車に乗ってた事は覚えてますけど」
哲「いい気になり始めた頃ですね(笑)」






すみません、途中ですがかなり長くなったので2回に分けます(^^; 続きは明日。


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咲良 [MAIL]

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