2007年04月06日(金) |
「こうのとりのゆりかご」市が認可。 |
ついに、熊本市が認可して、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が実現に向けて動き出しました。慈恵病院はすぐにでも工事にかかって、実際の始動はGW明けぐらいになるんじゃないかとの事です。
賛否両論のシステムだけど、私は基本的に賛成。それで救われる命があるのなら、決して悪いシステムじゃないと思う。
反対する人の気持も判らなくはない。一番よく耳にする 『子捨てを助長する』 ってのはないと私は思うけど、親が子供を捨てるなんて許されない事なのに、それを受け入れるシステムを作っちゃうなんて・・・・っていう気持ちはなんとなくわかります。
捨てられた子供のアイデンティティにも関わるという意見も、よく耳にします。どこの誰が親なのかまったくわからないという状況は、成長していく子供にとって凄まじいコンプレックスになるだろう、と。自分のルーツが判らない、生物学上の血縁者がまったく判らない、なぜ捨てられたのか、捨てるぐらいならなぜ産んだのかと、成長するにつれて苦しむ子も出てくるでしょう。
でもそれだって、命が助かればこそ、なんじゃないのかなぁ。
施設の職員や里親などの周囲の環境や、本人の性格によって違ってくるだろうけど、何はともあれまずは命が助からないと、そうやって悩む事すらできないわけだし。
それに、捨てられた場所が「こうのとりのゆりかご」だって事実は、親のかすかな愛情でもあるような気もして。
もちろん子供を捨てる親なんてとんでもないとは思うけど、そこらへんの草むらとか山奥とか、へたすりゃコインロッカーなんかに捨てられるよりも、安全に保護してもらえてその後もフォローしてもらえそうな「こうのとりのゆりかご」を捨てる場所に選んだって事が、少しは子供の行く末を心配してたんじゃないかなって気がするんだけど・・・・甘いかな。
慈恵病院では、出産や育児に対して悩む女性のための電話相談窓口もあるそうだし、熊本市もそういう相談係りを設置するって話です。親が子供を捨てないようにできる限りの支援や策を講じながら、それでも捨ててしまうのならせめて子供の安全が保障される「こうのとりのゆりかご」に・・・っていう、追い詰められた女性を精一杯フォローしようという必死の試みなんじゃないでしょうか。
子供を、命を捨てちゃいけないという教育は確かに必要です。でも、今からそういう教育に力を入れても、それが効果を発揮するまでに何年という時間がかかると思うのです。その数年、数十年の間に、捨てられる子供がいないとは思えない。
誰も子供を捨てなくなる世の中になるまで、「こうのとりのゆりかご」は必要なんじゃないかと思います。そしていつか必要なくなる日が来たら、それが理想だな、と。
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