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2004年10月26日(火) 被災者のためにできること




ドラ○もん募金など 電話一本でできたり

ネットでぽちっとするだけ なんて募金もあるようだが

どれだけ被災者に届くのだろうと つい思ってしまったり。

でもやっぱりしないよりマシかと思ったり。

じゃあ 台風で家を流された人はどうするのかと思ったり。




うちは 結婚してから10年住んだマンションから

地震の5ヶ月前に 今の家を改装して引っ越したばかりだった。

その部屋を売り出し中だったのだが、マンションが地震で半壊になり

住んでいなかったから見舞金なんて一円ももらっていない。

でも修理費(数十万円)はしっかり取られた。



災害見舞金をもらうためには半壊の査定をもらうのが住んでいる人間には得だが

これから売ろうと思う人間にとってはありがたくない査定だった。

おかげでマンションの価値はどーんと下がってしまい、

しかも 売れるまでに一年以上かかってしまった(それまでもちろん管理費は支払わなくてはならない)






改装したばかりの家は 

揺れで飾り棚がいったりきたりした跡が新品のフローリングにしっかりつき、

貼りたての壁紙も隙間ができて 新しい家具も倒れてへこんだりした。

テレビは台の上でひっくり返って横向けになっていた。

新調した食器棚は 倒れこそしなかったが ゆがんでしまって

今もキチンと閉まらないので 中に埃がすぐ溜まる。

(食器棚を作ってくれた従兄弟は未だに直しに来てくれないし・・・もう10年も待ってるんだぞ こら)

後から調べたら、玄関の敷石にも家の土台にもヒビが入ったりしていた。





避難所にいかなかったので、食料の配給ももらうことなく

自分で調達していた。




旦さんは 会社が大阪にあり、

大阪は地震の被害もたいしたことなく 会社での仕事は普通にあったので

三日ほど休んだ後 会社に通いだした。

線路が崩れて電車が通っていなかったので、

二駅先まで自転車で走り そこから電車で大阪まで出ていた。

帰りに会社の近くの百貨店の地下食料品売り場で

できたものを買って帰ってきてくれたので、

それを家族5人で食べるという生活をしていた。




旦さんが会社に行っている間、

私と子供たちは 一日5回は水汲みに通っていた。

給水場に並び、次に井戸水がでる公園まで水を取りに行き、

川でもトイレ用に水を汲んだっけ。(水がないとトイレも流せない。しかも大量に必要だ)



大阪から 友人が水や食料を 線路を歩いて運んでくれたという人も多かった。




被災者のために ぜひ何かをしたいと思う人がいれば

募金もいいが 手に届くにはなかなか時間のかかるものであるし

それよりは、すぐに駆けつけて(自分の飲み食いする分は持参)

炊き出しやらテントやトイレの設置などをしてくれる

ボランティアの力が とりあえずは一番の助けになるのは間違いない。



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ぷーな若者がたくさんかけつけてくれることを期待しつつ

おばさんは 自宅でぬくぬくとネットしています。

えらそうなことは言えません。ごめんなさい。




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