四月七日でMONA LISAの本を読んでいると書いた いつの時代でも謎の多いモナリザ いや、レオナルド・ダ・ヴィンチの謎といったほうがいいだろうか いろんな本やTVなどの特集で得た情報はさまざま。
実はリザ夫人ではなく幼少の頃に別れたレオナルドの母だとか、これは自画像なのだとか、はたまた母とレオナルドを重ね合わせたものだとか、イザベラ・ダステの肖像だとか、キリストの愛人であったマグダラのマリアだとか、いろいろ言われてきた
わたしが思うにはレオナルドがこの絵だけは最期まで手放さなかったというところから、ひじょうに想い入れの強い人物であることは言えると思う よって誰かに頼まれて描いた誰かの夫人、というのではないように思う 最期までそばに置いておきたい人、自分に近かった人、血縁者、幼い頃引き裂かれた母への思慕が強かったから母である可能性は高いがもしかしたら自分を重ね合わせたのかもしれない だがレオナルドは母の顔は鮮明に覚えていないはずで実際の母の絵ではないのではなかろうか 母を描きたかったが偶像の母を描くしかなかった そこでレオナルドの描いた母の絵とは・・・
しばらくモナリザの絵をじっとみつめる・・・・ わたしはこんな顔をどこかで見ている それはずっと前だがこの間も、いやもしかしたら毎日見ているような気がした 誰に似ているのだろう
・・・・思い出したのだ 能面だ 深井と呼ばれる能面で苦悩を内に秘めた沈んだ表情に清艶な美しさを感じさせる中年女の面である 能面というのはそれ自身の美的要素によって独自の芸術品として鑑賞に耐えうる一面を持っていることから本質的に幻想的な美であると留意しなければならない 顔面の長さと幅の関係は黄金率の比例で見合っており端正で秀麗な顔立ちをしている
モナリザの顔は現実的な顔ではないと感じていた なにかの象徴でもあるような幻想中の人物だと。 このことから天性の芸術的才能を持っているレオナルドはごく自然に能面のような顔を描くことが出来たのではないだろうか
能面だけではない、なにかを超越した顔というのは仏像、とくに天平飛鳥時代のもの、中宮寺の弥勒菩薩や秋篠寺の技芸天などの静かな笑みをたたえる表情や豊満な姿態にモナリザの絵と共通しているものを感じるのだ
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