まつや清の日記

2005年07月25日(月) 吉田としあき氏、善戦するも敗れる

 吉田としあき氏−502,919、石川よしのぶ氏ー821,492、吉田としあきさんが敗れました。本当に残念な結果です。選対本部長代行という立場にありながら、当選を実現できなかった自らの非力さを、まず、候補者本人、支援者、応援してくださった50万余の方々へのお詫びをさせていただくと同時に大きな応援をいただいたことに深い感謝の念を申し上げます。

 とにかく、直接に、街頭でと、今日の朝、新静岡センター前にたちました。ただ、選挙後ということで宣伝カーが事務所になく、「まつや清」ののぼり旗をたてての肉声によらざるをえませんでした。やむなく「知事選挙での吉田さん支援、ありがとうございました」を訴え続けました。

 今日、訴えたかったことは、この選挙戦がわずか2ヶ月という短期であったにもかかわらず、石川陣営をして一度は「負けるかもしれない」と震撼せしめた戦いであったということです。「勝てるチャンス」は存在していました。それは、有権者の底流に流れる「多選、不祥事批判」がいかに大きかったかを示しています。石川陣営が目標とした「全県での圧倒的勝利」は実現していません。この有権者の批判票は、今後の県政運営に大きな影響力を持ち続けます。
 
 そして、このような戦いを実現できた大きな力は、まず何よりも17日間という長丁場の選挙戦を「4戦阻止、県政刷新」の訴えを全力で戦いつづけた吉田さん自身のパワーです。それを支えたものの一つが、海野徹さん、小沢猛男さんの辞退など多少のギクシャクがありながらも候補者を「一本化」した「1対1の構図」です。

 もうひとつが、「新しい静岡県を創ろう会」が中心となって、告示前2周間、全県の市町での吉田さんの街頭演説を展開し、4年前の水野誠一さん選挙に関わった多くの支持者を掘り起こし、県民パワーを再結集できたことです。また、この全県一周は、記者会見段階で政治経験ゼロという候補者としての不安を一掃し、7月7日の告示には、まさに知事にふさわしい立候補者吉田としあき像を作り上げました。

 同時に、この選挙中盤戦でのマスコミ3社による世論調査は、「空港はいらない県民の会」を中心に空港建設推進に屈することなく、粘り強く戦いつづけてきた住民運動が、いまだ、県民の多くの人々の中に、空港はいらないという世論を存在せしめていること、まして、土地収用という力による問題解決は支持されていないことを明らかにしました。今後の反対運動に大きな橋頭堡を作ってくれました。

 この戦いに敗れましたが、元気も出る戦いであったという側面を強調しすぎることはありません。勿論、選挙戦において敗れたことは事実です。しばらくの間、少し元気がなくなったり、失望する期間があるかもしれません。選挙の敗北総括もきちんとやらなければなりません。

 市民レベルでの候補者擁立を実現できず、吉田さん擁立をできたものの準備期間が短かったこと、全県選挙で勝利を実現する戦略・組織の練り方に不明確さがあったこと、批判・反対派としてアピールと夢ある静岡県像をローカルマニュフェストで示すことの間にギャップがあること、無党派層の50%しか獲得できなかった出口調査結果と候補者一本化過程での共産党推薦のありかた、民主党支持者の7割が吉田さんに投票している出口調査結果と実際の民主党の役割、市民運動・住民運動と選挙、政治、政党への関わり方など徹底した議論が必要です。

 元気が出ている最大のものは、「無名の」候補吉田さんの戦いをして、82万対50万の選挙結果がでていることであり、4年前の102万対57万より、得票率において今回がまさっています。50万人の批判票を「一握り」と無視することは出来ないし、させてはなりません。そして、それは、石川氏を支えるスズキ会長がいみじくも語った「投票率が50%以下では、例え勝ったとしても信任を得たことにならない」という44,49%という低投票率の中での石川氏の当選であり、空港の土地収用含め「好き勝手」を担保したものでもありません。

 戦いは、これで終わらないし、これからも続きます。

 選挙運動最終日に震度5の地震が東京を襲ったこともこれからの私達自身の今後の大きな課題として、浜岡原発震災対策が緊急課題であることを示唆しています。この選挙結果にひるむことなく、県民の県政批判パワーに支えられながら石川知事の4期目への批判勢力の先頭でがんばりつづけることをお約束したいと思います。
 


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K.matsuya

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