久し振りに実家の父・母に電話。 すぐに父・母から手紙が届く。 同封された柏崎日報に同級生の活躍の記事。
父は、19の年に通信兵として満州へ、そしてロシアに抑留される。 母は、関東大震災の年に生まれ、東京日本橋に一時期暮らしたという。
父「久し振りで、元気な声を聞いてうれしかった」 母「私の母は76歳で、姉は74歳で死亡、私は数え年で82歳にもなりました。何時死んでもいい年になっているんだけど」。
私のような年代になれば、親から誰でも聞く言葉からも知れない。 今日、車で外出したが、その手紙を想いおこす。
何故か、涙が、どうしようもなくこぼれてしまった。 どうして、こんなに、涙が出てくるんだろう。 年老いた父・母を遠くに置いているからだろうか。 死を意識しながら生きている両親を確認したからだろうか。 遠くの地で親孝行を出来ない自分に嘆いてのことだろうか。
車の中で偶然に大学生の頃のポップスを聞いていて、あの頃の親不孝を後悔してのことだろうか。
次々に父・母との出会いのシーンが脳裏を刻む。 家の作業場のそばに聳え立っていた、雄に幹が1メートル50はあったポプラのの木。 春先、その傍で堆肥作りをしていた父と母。 そのポプラも台風で倒れてしまった。 台風の時に家族全員で縁側の戸が飛んでいくのを抑えていた記憶。 次々に想いおこすその情景。
世代が変わっていく。 それは、人間の一生とその死の積み重ね。 母「悪いことはしないように」。 この言葉は、新潟「誇る人」田中角栄氏がロッキード事件で逮捕された時に田中氏の母が語った言葉でもある。
いろんなことを考えさせてくれる父・母からの手紙。
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