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2024年12月22日(日) ■ |
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ハイバイ20周年『て』 |
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ハイバイ20周年『て』@本多劇場
毎回打ちのめされる傑作 芝居納めでした、よいお年を〜
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Dec 23, 2024 at 0:16
20周年おめでとうございます。ロビーには歴代作品のポスターとハイバイドア現物が展示され、撮影スポットになっていました。「あなたもハイバイの世界の住人になれる!」的な。それは…つらいな……(微笑)。
『その族の名は「家族」』も加えると6演目か? 『て』を初めて観たのは4演目、10周年のとき。その後の5演も観ているが、感想が書けなくなってしまった。岩井秀人の作品はついつい自分ごととして観てしまい、芯に当たるとダメージが大きい。父が亡くなったあとに観たときには特に喰らった。そして、『夫婦』、『世界は一人』と観てきて、同じことをずっと考え続けている。岩井さんが今作を演出するのは最後とのこと。前川知大がハイバイ作品を評していった「供養」として、そのことを取り留めなく書いておくことにする。
岩井さんに「あの父親」の姿を見たのは『ワレワレのモロモロ 東京編』。役者を理不尽に追い詰め、その人格すら否定する演出家の姿は、ある作家のある作品を想起させた。復讐のように家族、特に父親のことを書き続けた彼が、あるときその父親をなぞるような行動に出る。やってしまった事実だけを面白おかしく書いたそのエッセイに、父親の話題は出てこない。しかし、彼の作品をずっと読んできたひとは、嫌な予感がした筈だ。その後彼に起こった(いや、彼自身が起こした)ことを知ったとき、驚きはしなかった。いずれこうなることが判っていた気すらした。あれ程憎んだ父親に似てきている。姿形のことではなく、生き方が。
『ワレワレ〜』で岩井さんが演じた演出家は、岩井さんではない。それでも嬉々として役者をいたぶる(そう見える)姿に、岩井さんの「あの父親」が透けて見えた。その自覚を持ちあの役を演じているであろうところに恐怖を抱いたし、自覚を持ってあの役を演じ、観客を笑わせる岩井さんに畏怖の念を抱いた。
そして今回。「あの父親」は、ふたりの役者により演じられる。前半は後藤剛範、後半は岩井さん。父親を演じていた後藤さんが後半「人間のつくりが違う」長女の夫になり、長女の夫を演じていた岩井さんが後半父親にスイッチする。暴力をふるう、まだちいさかった子どもたちの目に映る父親を演じる、筋骨隆々の後藤さん。大人になった子どもたちの前で弱々しい姿を晒す(ふりをする)、くたびれた(失礼)岩井さん。
最後という演出にこの手札があったか。岩井さんが父親を演じたのは初めてではないか……。自分の姿に当時の父親を見出せる年齢になった、ということもあるのかも知れない。白髪が増え、目の下の肌がたるみ、しかしそれでも大人になった子どもたちを緊張させる父親。多分今回も、自覚をもって演じているのだろう。やはり怖いし、やはり凄い。
4人の子どもたちと、その両親のことを考える。あの夫婦仲で、何故ふたりは4人もの子どもをつくったのだろう? ふたつのことに思い至る。ひとつ目は、強姦だったこと。母、長女、そして一瞬正気に戻った祖母の三世代が「夫(父親、義理の息子)の怖さ」を語り合うシーン。笑いが起こっていた客席が、ある時点から静まり返る。この喩えは非常に的を射ているのだと気づいたかのように。女性たちが怯える男性性を説明するのに、絶妙過ぎる程の喩え。
ふたつ目は、母親が自分の味方をひとりでも多くつくるためだったこと。結果論だが、そうしてあの家に父親の味方をする人間はいなくなった。どちらにしても、子どもはその出自に後ろめたさを持つ必要はない。望むも望まないも、生まれてきた子どもがその存在を否定される謂れはひとつもない。そして『夫婦』を観ればわかる通り、父親を看取ったのはこの家族だったのだ。簡単には片付けられない、断ち切ることの出来ないしがらみ。
ハイバイの作品を観るとき、いつも鷺沢萠のことを思い出す。自分のことを書き、祖母のことを書き、「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」といわれ、そのことをまた書き、書いたことで苦しみぬいた彼女のことを。しかし岩井さんは、実体験から生まれた物語でも、あれ程嫌った父親に自分が似てきても、断ち切れないと思ってきたしがらみを手放すことが出来ることを見せてくれた。再演を続けることで、自身の体験が手を離れ、多くのひとへと届いていくさまを見せてくれた。
ウチはといえば、岩井さんとこというより蓬莱竜太んとこのような家だったのでそりゃぶっちゃけたら面白かろうなとは思う。しかし、両親のことを憎んでも恨んでもいないのでぶっちゃけない。ぶっちゃけたら楽になる、というのはひとによる。そういう意味では、私は今作の長男のようでもあるし、「後ろめたいっていうか」と零した末っ子(次女)のようでもある。それでも、いや、だからこそ、『て』を観ることはある種の「供養」になる。
ハイバイは現在劇団としての役割は終えているので、今作は客演を迎えたというよりプロデュース公演に集ったキャストともいえる。『て』常連の田村健太郎と川上友里、ハイバイ作品常連の後藤剛範はいつものごとく冴えていた。田村さんはもはや岩井さんの分身(かつて小岩井なんて役もやってたね)で、老け込んだ現在の岩井さん(役柄上ね!)にかわり次男をのびのび演じる。腹立つ(笑)。死の世界に片足を突っ込んでいる祖母演じる川上さんは蜉蝣のよう。ラストシーンの歌が耳にこびりついている。あれ演じてるだけで気力も筋力も落ちそうよね……。後藤さんは家庭に君臨する父親と、妻のために地元を出る「つくりの違う」夫の両方を具現化する。イキウメの常連でもある神父役の板垣雄亮は真顔でおかしなことをいう職人。信仰という概念そのものに疑いを抱かせる素晴らしさ(笑)。次女の藤谷理子は、頑なに頑固な末っ子像がかわいらしくにくらしい。あのキラーワード「歌い手を殺す」で笑いを生んでいた。
長男と長女は大倉孝二と伊勢佳世、どちらもハイバイ初登場。これは新鮮。大倉さんの長男は、弟から見た兄が母親から見た息子に転換するイメージが鮮やか。ずっと不機嫌でずっと怒っているように見える前半、その根拠を見せる後半。長女の夫からお土産をもらうところで本領発揮。このシーンを観客も待っていたのではないかと思える程ウケていた。伊勢さんは責任感が強く、母に寄り添うことが出来る長女を凛と演じる。強いのに弱い、弱いけど強引という二面性を見せる。
そしてこちらもハイバイ初登場、小松和重の母親。「リバーサイドホテル」を唄う家族を前に慟哭する母親の「声」が聴こえたのは初めてだった。前方の、舞台に近い席だったからだろうか。過去観たときは、声を出していないように感じていた。白昼夢のようなエア慟哭。あるいは、出したくても出せなかった声。それが今回、あのシーンはもはやエアでも幻でもなく、母親は目の前に迫る現実に声を発したのだと感じた。「そうだっけ? そうだったっけ?」という声にも実感が伴う。多面的な家族と曖昧な記憶が結びつく。
ちなみに今回いちばん心が寄ったのは、岡本昌也演じる次男の友人役。ある意味いちばん気の毒な人物ならではのチャーム。次男のゴリ押しを拒否出来ない。もはや次男と仲がいいのかすら判らない。ちいさーな声の「帰りたい」に客席が湧いた。共感しかない。時期的に『光る君へ』の乙丸を思い出す切実な叫びだった(笑)。葬儀屋のふたり(梅里アーツ、乙木瓜広)も印象的。
「リバーサイドホテル」の前奏に繋がるモヤモヤモヤ〜とした音響をつくったチーム(中村嘉宏、佐藤こうじ、音響操作:日本有香)の仕事が秀逸。天才か。彼岸と此岸の境目が舞台に出現したかのよう。『マッチ売りの少女』の気分になる。こんなにヘヴィーな舞台なのに、不思議と穏やかないい気持ちで劇場を出られる。それが岩井さんいうところ(後述)の、“最終的にこの作品が「願い」や「許し」について扱ってる”ということなのかも知れない。ひとんちの話は面白い。自分ちの話もきっと面白い。ハイバイの作品は、家族の問題をそう思わせてくれる。岩井さん有難う。
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・ハイバイ20周年『て』特設サイト┃ハイバイ 「家族だから許せ」的な考え方をやめたらいいのに、と思いながらも、それでも最終的にこの作品が「願い」や「許し」について扱ってることに救いを感じつつ、またイチから作り直したいと思います。
・ハイバイ20周年『て』 岩井秀人×大倉孝二 インタビュー┃ローチケ演劇宣言! 大倉 時には俳優の生理や感情を切り離してでも「ここはこういう風に見せたい」と明確に演出をする人は僕の中では初めて。 岩井 自分自身が体験と感情をガチガチにくっつけて抱え込んでいたんだな、ってことにも時間をかけて気が付いていったと感じていて…。そして今、「これは自分の体験だ」という気持ちは全くなくなった。だから、やっと純粋に一つの作品として作れるような感覚がある。そういう意味での完全版ですね。
・ひきこもりから脱したハイバイ岩井秀人 演劇による精神看護の可能性を医療従事者と語る┃NiEW(ニュー) 岩井:人って、自分の中で、過去の体験と感情を無意識に一緒にくっつけちゃって、今の自分の世界を見る時の判断に結びつけていたりするんです。(中略)自分で自分の感情だけに傷つけられ続ける必要はないんだな、と。 岩井:俳優の機能を活かせる場所は劇場だけじゃないぞ、と思ったんですよね。(中略)俳優の経験がある園田さんが踏み込んで勝手な解釈を入れたことで、現実のもう1個の可能性が見えたんですよね。これって、演劇を劇場の中だけに置いていたら絶対に起きなかった部分だと思っているし、こういうことは他にもあるだろうなと思います。
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