前潟都窪の日記

2006年06月12日(月) ウズベキスタンの旅・・・ヒワ

2006.4.26

 朝早くタシケントのパレスホテルを出発し、ヒワへ移動するため空港へ向かった。 

薄暗いタシケント空港




空港には観光客が大勢押しかけている。搭乗するための行列は先陣争いでなんとなく殺気だっている。航空機の場合、全て指定席になっているから何もあわてて搭乗する必要もないのにと日本の常識で考えていたら日本の常識の通用しない理由があった。

 搭乗券の座席指定の数字はここでは全く意味のないことであることが機内に入って判明した。つまり座席は全て自由席ということで早い者がポジションのいい座席を確保できるということなのである。

座席争奪戦の後離陸したウズベキスタン航空の機上よりタシケント市内を俯瞰





 ウズベキスタン航空のHY1051便は7時05分に離陸し、ホレズム州の州都ウルゲンチへ8時15分に到着した。

迎えのバスに乗り車窓に綿花畑、貯水池、ポプラ並木、ロバ車、トロリーバス等を眺めながらの移動は楽しい。就中、カスピ海沿岸で採掘される天然ガスを無償で供給するため、民家に配管されている光景は興味をそそった。やがてバスはヒワのホテルメドレセに到着した。

黄色い配管が各民家に施されている。




このホテルメドレセはイチャン・カラ(内城)にあり、1,853年創建の神学校である。1976年以降ホテルに転用されている。

ホテル・メドレセの入り口




神学生達が寄宿して生活していたところだからホテルに転用するのはアイデアとしては優れていると思うが二階の個室へ行くには急な狭い階段を頭上の障害物に気遣いしながら昇降したり、浴室にバスタブがなかったり、水道の水がでにくかったりと宿泊施設としての機能は充分ではない。

ホテル・メドレセの中庭




ホテル・メドレセの部屋の中とシャワー室







メドレセの中庭からも見えるカリタ・ミナール





 定められた部屋へ荷物を置いてからイチャン・カラ内の見学である。

イチャン・カラの配置図





配置図の前で説明を聞く観光客





 カリタ・ミナール、カーズイ・ハナ、クフナ・アルク、カールマルクス通り、金曜のモスク、ムハンマド・アミン・イナクの神学校、キャラバン・サライ跡のバザールと見学して、昼食は旧キャラバン・サライ内のホテル・アラカンチで摂った。

カリタ・ミナール




カーズイ・ハナはこの建物の横の狭く細い階段を下りた所にある。




カーズイ・ハナ(牢獄)の囚人の蝋人形




カール・マルクス通り・・・メインストリート




クフナ・アルクの謁見の間の舞台




 日中温度が30度近くまであがるので太陽の勢いが衰えるまで室内で休養し、16時過ぎから再びヒワの観光にでかけた。

 デシャン・カラ(外城)のヌル・ラバイ宮殿を見学してから再び内城(イチャン・カラ)に戻り、職人街を見学した。

 パフラワン・ムハド廟(13世紀)、イスラム・ホジャのモスク、タシュ・ハウリ宮殿と見て回った。

 この日の夕食はトサボーグ宮殿で摂ることになった。

 翌日は平日のため早朝は昨日の活況とはうってかわってイチャン・カラの中には観光客の姿は殆ど見られなくなっていた。

 早朝の静寂を取り戻した城内を散歩していると住民達が箒と塵取り箱を持ってせっせと観光客達が汚していった道路や広場を掃除している姿があちこちに見られた。

 8時にはホテルを出発して次なる観光地トルクメニスタンの国境目指してバスドライブである。


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