2006.4.20
カザフスタンは下の地図に示すように中央アジア五ケ国の中では最も大きな国で、その面積は271万7,300㎢あり日本の約7倍の広大なものである。カスピ海に接しているため石油資源が豊富でソ連から独立後、その経済発展にはめざましいものがある。
カザフスタンとはカザフ人の国の意味でカザフはトルコ系諸語で「放浪者」を意味するクザックが訛ったものといわれる。
人口は1,745万人で首都はアスタナである。
住民はカザフ人が46%、ロシア人35%で後はウクライナ人その他
ソウルの仁川空港から深夜に飛来して入国審査で感じた印象は以下のものであった。
1.入国審査官の被っている帽子が大きく、旅行客を威圧するに充分なものであること。 2.旅行者のパスポートから記載項目を一つ一つ丹念に入力するので一人あたりの所要時間が長く、行列がなかなか前へ進まないこと。いかにも非能率的な事務処理である。
オトラルホテルに到着した時には深夜も更けて翌日になっていた。短時間睡眠をとったホテルは部屋が狭い割りに調度品や部屋の飾りは格調の高い木製で茶色のニス仕上げであった。
翌朝出発前にホテルの周囲を散策してみるとこの街はパンヒローフ公園の緑化事業を中心整備されたようで緑豊かな大木が鬱蒼と茂り自然環境は良好である。またソ連時代に建てられた頑丈だけが取り柄のような野暮ったいアパートでは独立の息吹が感じられるかのように人々の動きには活気があった。
公園の中にはゼンコフ・ロシア正教の教会が派手な色彩で佇んでおり、折から黄色いチューリップが見事な花を咲かせて取り囲んでいた。この教会はゼンコフというロシアの建築家が1904年〜1907年にかけて建造したもので、ロシア革命後は音楽堂として使用されていたのであるが、1991年の独立後は再び教会としての活動を開始した。教会内では熱心な信者達が集まりミサが行われていた。
また公園の中には28人のパンヒローフ親衛隊記念像が建てられており、第二次世界大戦で首都モスコーの防衛前線として戦った兵士達の群像が彫られている。
群像の前には追悼の永遠の火が焚かれており、外国からの要人達もこの前で哀悼の誠を捧げるのだという。周囲にはここを訪問した諸国の政治家達の記念碑がおかれている。
中央バザールを見学した。市内では最も大きい体育館型のバザールで豊富に商品が並べられていた。ロシア人やカザフ人の売り子が多いが目を引いたのは朝鮮人達がキムチを初め肉、魚などの食料品売り場に多いことであった。
日本人観光客に対しては概して好意的で「ヤポン」「コニチハ」と気軽に声をかけてくる。そしてデジタルカメラが珍しいらしく写真を撮ってくれとせがむものもいる。撮影した画像を見せると多数の人が寄ってきて感嘆の声をあげていた。
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