2006年02月09日(木) |
ペルーの旅4・・・天野博物館 |
2006年2月7日(火)
次いで天野博物館を見学した。天野博物館は若くして財をなした天野芳太郎氏が古代アンデスの遺跡を調査して歩き集めたプレインカ時代の彩土器と染織布のコレクションを展示してある博物館である。 写真は天野博物館
天野芳太郎氏が如何なる人物であるかを天野博物館発行の染織図譜に所載の年譜から引用してみると 以下の如き、波瀾万丈の人生を送った人である。
天野芳太郎 年譜 明治31年(1898) 7月2日秋田県南秋田郡脇本に生まれる 大正5年(1916) 3月秋田工業高校機械科卒業 9年(1920) 神奈川鋳物工場を創立、経営者となる 13年(1924) 横浜市太田町に子育饅頭を開店 昭和3年(1928) 4月博多丸で横浜を出帆、香港、シンガポール、 アフリカを経てウルグアイに到着。−時帰国の 後、再び海外へ 4年(1929) 12月パナマ市に天野商会開店 10年(1935) ペルーのインカ遺跡マチュピチュ初登頂 16年(1941) 日米開戦と同時にパナマで逮捕される 17年(1942) 8月ニューヨーク発の強制送還船で横浜上陸、 在米抑留者の帰還運動を推進する−方、日本 各地を講演旅行 26年(1951) 南米への夢断ち難くスウェーデン船で横浜を出 帆するが猛吹雪のため遭難。米国船に救助され る。一カ月後再渡航、リマ市に居を移す 27年(1952) この頃から古代アンデス文明の研究をすすめる 28年(1953) リマ市北方のチヤンカイ遺跡発掘に着手 32年(1957) 東大助教授・泉靖一(文化人類学)夫妻の訪問 を受ける 33年(1958) 私設の天野博物館発足。5月泉靖一らの協力 で日本で初の「インカ帝国文化展」を開催。 6月第一次東大アンデス地帯学術調査団に同行 34年(1959) ペルー共和国政府から文化功労勲章受賞 39年(1964) 天野博物館開館 57年(1982) 10月日本と中南米の文化交流に尽くした功績で 国際交流基金賞を受賞 10月14日リマ市の自宅で死去 また同じく天野博物館発行の染織図譜に所載の「アンデス古代文明編年表」とペルーの地図を引用すると以下のようになる。
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