2006年01月24日(火) |
ドブロブニク城砦都市・・・クロアチアの旅 |
4月19日(火) 夕刻ドブロブニク市へ到着した。この市は複雑な地形をしている。観光案内所で入手した地図を掲載しておこう。 写真左はドブロブニク市の全体図である。この図の右手下方に茶色く色のついている箇所が旧市街地で町全体が城郭都市になっていて町全体がユネスコの世界遺産に登録されている素晴らしい景観の保存されている地区である。 写真右は旧市街の見取り図である。
ドブロブニクにチトー大橋というのがあり、ドブロブニク市の名物の一つになっている。ユーゴースラビアの元大統領の名前を取って付けられた。既述の地図の左手上方にかかっている橋が写真の橋である。
チトーにはクロアチア人とスロベニア人の血が流れている。西洋史辞典・・東京創元社刊・・によればチトーは次のような人物である。
1892-1980 本名Josip Broz ユーゴースラビア大統領、共産主義者同盟議長、連邦幹部会議長、元帥、第一次世界大戦に従事し、ロシア軍の捕虜生活を経て20年に帰国して共産党に入党。革命運動により数次にわたり投獄されたが、1935-36年にはモスクワに亡命。37年ユーゴースラビア共産党書記長に選出され、第二次世界大戦中は対ドイツパルチザン闘争を指導、43年国民解放臨時政府首席となり、45年以降首相、軍最高司令官、国防相を兼務し、46年人民共和国成立後、53年大統領に就任。47年にベオグラードを本部に結成されたコミンフォルムで指導的役割を演じたが、その民族主義的傾向からスターリンと対立してコミンフォルムから追放、それ以降は非同盟・積極的中立主義の立場で自由世界とも接近し、スターリン死後は対ソ関係の正常化にも努め、社会主義運動と第三世界に大きな影響力を発揮した。国内の民族的調和も進めた。
ドブロブニクの旧市街を散策した。頑丈な城壁で囲まれた市街地は中世の面影をそっくりそのまま現在に伝えている。典型的な城郭都市である。 写真は旧市街地への入り口近くの画像である。
ドブロブニク旧市街内を散策した。写真に示すのは旧市街での点景である。
城郭内の総監の館を見学した。 写真上の左右は何れも総監の館の一階広間である。 写真下左は総監の胸像、右は総監の館を出たところである。
4月20日(水) 午前中、旧市街を見学し且つ散策した後、城壁の上を一周した。写真上左は城壁登り口近く。写真上右は城壁の見張り台。写真下は城壁から見た旧市街の点景である。
旧市街の城壁の上から城外の街並みを撮影した。
ドブロブニク旧市街は城砦都市であり、自己完結型の都市として造営された。今もその名残を十分に留めていて観光客の鑑賞に耐えている。 写真は城内のメインストリートで石畳になっている。
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