| 2005年03月01日(火) |
秦 河 勝 連載14 |
この事件があってから河勝が神前で精神を集中して祈祷をすると、憑依現象がおきることがときどき見られるようになった。
河勝は自分に霊能者としての超能力があることを自覚すると、一族の支配統制のために最大限に活用した。
祭りと政は原始社会においては一体のものであり、分離されることなく祭政一致で統治されてきた。裁判はすべて神前裁判であり、処罰処刑も神意の発現としておこなわれた。
秦河勝の時代には大和朝廷の基盤も確立し、祭祀と政治は分離されていた。分離されていたとはいえ、その所管は何れも天皇家であった。
政治は天皇を中心とする大和朝廷がこれを司り、祭祀は天皇家が三種の神器を奉じて皇祖神を祭り、天神地祇を祭ることであった。但し、この頃になると朝廷内部の分業が進んだため、連の姓を持つ豪族に宗教的職分や特高警察的な職分はまかされていった。
前者をまかされたのが忌部氏や中臣氏であり、後者を任されたのが物部氏であった。氏族は天皇の臣下であり、各氏族固有の氏神を祭った。河勝に霊能者としての超能力が備わっており、彼が精神を集中して超能力を発揮するときは必ず憑依現象が発生したので、部民達は彼を一族の長として畏敬の念をもって仰いでいた。
秦人即ち秦部は大和、山城、河内、摂津、和泉、近江、美濃、尾張、若狭、播磨、紀伊、丹波、備前、讃岐 伊予、阿波、豊前と広範囲にわたって住んでいた。特に山城盆地にははやくから住んでおり大きな勢力を持つようになっていた。
日本書紀によれば欽明天皇元年に秦人、漢人ら諸蕃の帰化したものを国郡にそれぞれ定住させて戸籍を編んだところ秦人の戸数は7,513戸にのぼったと記されている。この頃秦河勝の大叔父大蔵掾秦大津父は秦伴造に任命されている。
  
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