前潟都窪の日記

2005年02月24日(木) 秦   河 勝 連載9 

「御長老わたしにも読み書きを教えてくださいませんか」

「いいとも。しっかり勉強して、一族の繁栄をはからなければならないからのう。読み書きの勉強も大切だが、もっと大切なのは神様を崇拝するということじゃ。秦一族が現在繁栄しているのは、守護神を丁重にお祭りしているからその御加護があり霊験あらたかなためなのじゃ。深草の里にお祭りしている稲荷(いねなり)神は五穀豊穣の神様じゃ。葛野にお祭りしているのは養蚕の神様だし、松尾の神様は酒造りの神様なのだ。賀茂の神様は大地の神様でこれらの神々は秦一族が畏敬の念をもって崇拝しているのだよ」
「わかりました。毎朝四方拝をし、神様を拝むように母親から教えられていますのでそれを守るようにします」と河勝は言った。

「秦一族がこの地に渡来以来、おおよそ二百年足らず経ってはいるがこの間、常に順調であったとは限らない。弓月の君が渡来してから二〜三代のうちは、族長がしっかりしており、神様を畏敬し敬う気持ちが篤かったから繁栄していた。だが、そのうち心得違いをする族長がでるようになる。そうすると一族は分散のはめになる」

「そのようなこともあったのですか」

「あれは、やはり応神天皇の御代のことであると聞いているが、須須許理(すすこり)という酒造りの名人が百済から渡来して、旨い酒を朝廷に献上したそうだ。帝は喜ばれて、須須許理を秦部に下されて酒造りも秦部の大切な仕事となったのじゃ。そのときの族長は秦登呂志(はたのとろし)といったが自分の子供の名前を「酒」とつけるくらいの酒好きであった。そのために、酒部の酒造りのほうへ力を入れすぎて、秦部の機織りのほうは蔑ろにしたということじゃ。万の神々を崇拝する気持ちが薄らいできたのだな。秦の登呂志は酒造りの神様を大切にしなければいけないということだけを考えて、蚕の神様と同じお社へお祭りしたのじゃ。こうなると蚕の神様のほうは面白くない道理じゃ。自分の神域へ他人が入ってきたのだから意地悪をしてやろうと考えられても不思議ではない。機織りのほうもおろそかにしたものだから機織りに従事していた秦部の民も面白くない。次第に秦一族の中で統制がとれなくなり、秦部の民は全国へ分散して行ったのじゃ。しかし、分散したとはいえ、秦部の民は優秀な人々が多かったうえに、稲作りの技術や、養蚕の技術や機織りの技術を持っていたので、分散していった土地で勝部(すぐりべ)を作り、村主(すぐり)になったのじゃ。勝部は稲作り、養蚕、機織りの専門技術集団のことであり、村主とはその集団の指導者のことじゃ。」

「分散してしまうと氏族としての団結力がなくなり力が弱くなるでしょうね」
と河勝が言うと長老の秦大津父は彼の利発な質問に満足げに頷きながら話を続けるのであった。


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