前潟都窪の日記

2004年12月24日(金) 高砂工場労務課

 ▼高砂工場労務課
 硝子会社で高砂工場に勤務していた頃、新設工場の作業員充員のため北九州の工場へ選考試験によく通った。

 昭和44年頃のことで日本の高度成長は真っ最中で求人難の時代であった。新聞広告を出しておいて北九州工場に集まってくるかもしれない応募者を求めて出張した。5〜6回このような求人選考に通ったであろうか。それでも行けば5〜6人は応募者があったように思う。
 
 一日の仕事が終わり、夜行列車の出発までの時間を潰すために、戸畑駅からほど近い所にある「五郎」という居酒屋へ立ち寄り、生ウニを肴に地酒を楽しんだ。お客が7〜8人も入れば一杯になるような小さな店であったが、飲食店が纏まって入居している雑居ビルの中にあり、女将さんの応対がアットホームな感じで、お袋と一緒にいるような雰囲気を好んで足繁げく通った。

 仕事に疲れた日など銚子一本も飲むと睡魔に教われることがあった。列車の時間まで休ませてくれと頼むと、店の奥の4畳半くらいの部屋に布団を敷いて休ませてくれたものである。それがいそいそといった風情が感じられ、お袋に甘えているような錯覚に陥り、時間になって起こされるまでの束の間の快眠を貪ったものである。

 色々な酒を飲んできたが利害関係の伴わない酒席での酒のみが楽しい思い出として残るようである。まさしく懐に浄財ありて、静かに心許せる友と一献傾けるという言葉は酒の作法の極致を語っていると思う。


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