前潟都窪の日記

2004年10月22日(金) あっぺこっぺのお婆さん、林檎狩り

 日の出社宅には「あっぺこっぺのお婆さん」という物知りがいた。鹿児島県出身の老婦人で、鹿児島なまりを地に出して話をするものだから、この老婦人と会話をするとトンチンカンになることが多かった。

「あちらこちら」を「あっぺこっぺ」というのでいつしか「あっぺこっぺのおばあさん」で通っていた。勇が腸チフスで入院したとき下駄を持ち物の中に加えるように助言して下さったのも、また付き添いには赤の他人の方がよいと言って、知り合いの信頼できる付き添い婦を紹介して下さったのもこの「あっぺこっぺ」のおばあさんだった。

 ある秋の一日、会社の行事で田舎の果樹園へ家族連れで林檎狩りにでかけたことがあるが、その前日母親がせっせと巻き寿司やら稲荷寿司やらを作っているのが嬉しくて、中々寝つかれず
「明日は朝早いのだから、早く寝なさい」
と叱られても、布団の中かららんらんと目を輝かせて母親の弁当作りを見ていた。

 翌日の朝、食事をするのにいつもと違って、エボナイト製の食器で食事をさせられ、勝手が違うので思うように食事が喉を通らなかったのを鮮明に思い出す。列車に乗って平壌近くの果樹園まで1時間程の距離であったが、記憶に残っている乗り物としては初めての経験だったので、道中が非常に長いものに思われた。

 列車の中で嬉しさのあまり、騒ぎまわっていたが、学齢期前の幼児であったため、叱る人もなく隣近所に愛嬌をふりまいては、車中の人気者になっていた。座席の背もたれを跨いで背中合わせの隣の席へ渡ってみたり、アカンベーをしたりとかなりの腕白振りを発揮していたことが遠い記憶に残っている。賑やかなのも行きの車中だけのことであり、帰りの車中では疲れ果てておとなしくなり、「コッポちゃん。どうしたの。おとなしいわね」と言われた。林檎園でも喜んではしゃぎまわったことと思うが不思議なことにその情景を思い出そうとしても思い出すことができない。


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加