表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2005年04月13日(水) 「海を飛ぶ夢」

◆海を飛ぶ夢
The Sea Inside
[スペイン/2004年/125分]

監督・脚本・音楽:アレハンドロ・アメナバール
出演:ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ

アメナバール監督は、今回、真っ直ぐな球を放ってきたなと思いながら見ていた。
この人は、生きながら死ぬこと、生きるための死・・など、死と生について深くとらわれている人のようだ。
「オープン・ユア・アイズ」は、生に対する絶望=生きながらの死、ではない方法を選んだ男の話だった。
「アザーズ」では、生と死を対等なものとして描いていたように思うし、
タイトなサスペンスだったと記憶しているデビュー作「テシス」は、すでに記憶が曖昧なのだが、やはり死にとらわれた姿を描いていなかったか?
「海を飛ぶ夢」では、それらを一歩進めた現段階での回答というか途中報告になるのかもしれない。

確かな意志を持ちながら、全て人の手を借りなければ生きられない“生きながらの死”に絶望し、尊厳死を選ぶ主人公。
病気のため意志や感情すら薄れてしまう“生きながらの死”に怯え苦しむも、それを受け入れることとなる女弁護士。
この二人のラストの対比は“死”についての解釈に結論を出さず、より深い余韻を残す。
同時に、ラストで弁護士が眺める海の景色で、さかのぼること前半の海辺でのイマジネーションシーンが浮かぶ。
願わくば、現実の死を実現した彼と、肉体以外の死にある彼女が、こことは違う世界の海辺で幸せに戯れていて欲しいと思うのは、我ながらセンチメンタル。
決して遠い未来のことではないと思う私の願望か。(本日とっても鬱モードのワタクシ)

その美しい海辺のイマジネーションのシーンは、体を動かせないはずの主人公が、ベッドから起き出し助走をつけて窓から飛び立ち滑空しながら海岸に至る。
そこには同志であり密かなる思い人でもある弁護士が散歩している。そこに降り立った彼は彼女を・・というシーン。
この一連のシークエンス以外は、全て、あくまで理性的に描かれ、余計な感傷を煽る部分は極力排除されている。
だからこそ、はかなくも美しいイマジネーションの部分は効果的に胸にしみとおる。
ここでのハビエル・バルデム、息づかいや鼓動まで聞こえてきそうだ。
少年の輝きを放っている姿は神聖でもある。

ところで、唐突ながら、ここで思い起こしたのは「ショーシャンクの空に」だ。
無実の罪で服役中のティム・ロビンスが、刑務所の放送室を占拠して、モーツァルトの「フィガロの結婚」のアリアを刑務所じゅうに大音量で流す。
それを聞いた作業中のモーガン・フリーマンの「これが何の歌かは知らない。よほど美しい内容の歌なのだろう・・・短い間だったが皆が自由な気分を味わった」というモノローグ。
そして、その罰で懲罰房に入れられたティム・ロビンスが戻った後、「モーツァルトを聴いていたから懲罰房は地獄じゃなかった。」「頭の中で聞いていた。音楽は決して人から奪えないのさ。」と言う一連のシーン。

海辺に飛ぶ主人公ハビエル・バルデムが、その時聞いていたのは、プッチーニの「トゥーランドット」からのアリア“誰も寝てはならぬ”。
豊かな音楽は、心をどこかへ彷徨わせて飛ばせてくれるのだ。
もちろん、誰にも奪われることなく、だ。
心からそう思う。

デリケートかつ的確に描かれた、家族のそれぞれが苦悩する姿もまた胸を打つ。

(4/13 at イイノホール)


 < 過去  INDEX  未来 >


るつ [MAIL]

My追加