2005年03月30日(水) |
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 / 中宮寺国宝菩薩半跏像 |
◇ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 昨年からわくわくしながら待ち続けた「ラ・トゥール展」。 全世界で40点ほどしか残っていないという、ラ・トゥールの作品のうち半分が西洋美術館に集結しているという凄い展覧会だ。他に「ラ・トゥールの失われた原作に基づく模作」や版画で構成されている。 目玉となる有名な絵とその周辺の絵でお茶を濁した展覧会とは一線を画する展覧会。 西洋美術館がラ・トゥールの“聖トマス”を購入したから実現できた事なのだろうけれど、実現させてしまった心意気とその力に感嘆感激感謝。 とりあえず、一番感激したものの感想などから。
“荒野の洗礼者聖ヨハネ” ラ・トゥールは、光と闇、特に炎に照らし出される人物描写に長けた画家だ。それなのに、この展覧会で最も打たれてしまったのは、炎抜きの、このヨハネだった。 イエスに洗礼を施した後、天下の馬鹿娘サロメのせいで斬首される前、荒野で修行をしていた時期の姿だ。 ラクダの皮衣をまとい、杖代わりの葦の十字架にもたれ、子羊に草をはませるヨハネを静かに包み込むのは朝日か夕日か。どちらを意図して描いたのか私には知る由もないが、それぞれどちらの情景を想像してもしっくりする。はっきりとした光源はないものの、柔らかに照らし出される背中と肩からの陰影の美しさに脳が痺れる。 様々な作家によるヨハネの絵があるが(いかつい感じが多い)、これほど無垢な美しさにあふれたヨハネは他にいるのだろうか。
“聖ペテロの悔悟(聖ペテロの涙)” 最後の晩餐の席でイエスがペテロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うだろう」と予言。ペテロはこれを否定するものの、いざイエスが捕らえられると予言通りにイエスのことを否認してしまう。予言通りになったことに気づいたペテロは号泣したという場面だ。“気づき”“悔やみ”“悟る”が全て表現されている表情が、私の感情にダイレクトに入り込み、私もまた泣けてしまうのだった。 足下に置かれたランタンからの光がペテロの足を照らし衣を美しく透き通らせているのはラ・トゥールらしい。 また、鶏が鳴くは夜明け、ペテロの前面を照らす柔らかな朝の光がまた美しい。
実はこの絵の他に“聖ペテロの否認”の場面の絵も展示されている。ラ・トゥールの工房作というが、こちらの出来は残念ながらあまり良くない気がする。がストーリーを持って一度に見られるのは幸せ。
光と陰がはっきりしたバロック絵画の、しかも主題を聖書からとったものにどうしても惹かれてしまう性分だけれど、聖書の主題以外の素晴らしい絵も多数あり。何度か足を運ぶつもりなので、できたらその時に続きを書く。
(国立西洋美術館)
◇中宮寺国宝菩薩半跏像
東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める仏像であります。また国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。 ・・というのは、中宮寺のホームページからの引用。 たおやかでやさしげな肢体と表情の美しさに見とれる。
折しも国立博物館では庭園解放中。 桜の季節にはちょっとばかり早く、寂しい散歩だった。(・・って、桜の季節も終わった現在、何と季節のずれた書き込みをしているのだろうー)
(国立博物館)
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