◆「延安の娘」@東京都写真美術館映像ホール 監督:池谷薫 孤児として育ったひとりの娘が父を求め、再会を果たすドキュメンタリー。 その父は、かつて文革の時代、下放された延安という農村で子供を作ってしまう。当時、下放された子の恋愛は犯罪であり、秘密裡に生まれた娘は里子として出され行方知れずになる。一応、縦糸として再会ドラマの形をとっはいる。しかしそれは、あの時代、下放された少年少女達の過酷な現実であり、痛みを伴った果ての一例に過ぎない。今では中年の大人となったかつての多感な少年少女達・・・かさぶたとなった傷を今更かきむしるのを潔しとしない人、青春を奪われた痛みを世間に分かってもらいたい人・・・いづれも彼らの心からはいまだに血が流れ続けているのである。 文革の時代を生き抜いてきた人たちにいまだ残る痛みや、やるせない苦しみを繊細に綴った映画だった。
「ワイルド・スワン」という本を読んだのは10年程前になる。 これはもう、見事に大きなショックを受けた。三代にわたる女たちと家族の物語としても面白かった。が、文革である! 文化大革命や四人組のニュースは新聞を始め、知識としてはあった。 しかし、この本で具体的にそれがどんなものであったかを初めて知った。 これよりひどいことが過去にもいまこの時にも地球の上で起きているのは承知の上だが、ぐわぁぁんと響いてしまった。 文革は私がのほほんと平和にぼけていた時代に、海を隔てたすぐお隣の国で起こっていたのだ。しかも、迫害された方もした方も私の年代であり、親の年代であり、同時代に生きていた人たちだったのだ。 あるいは「ワイルド・スワン」以前にも文革の時代を告発する媒体はあったのかもしれない。が、私にとって中国は「ワイルド・スワン」以前と以後とは全く違うものとなってしまった。 以後、文革を扱った本が多く出版され、映画も作られた。 現状告発を含む容赦ない中国人の回顧は力強く心に響いた。 以来、「この人は国の体制が変わった時、体制側の論理を受け入れる人か否か。」などという見方を時々するようになった私・・・。かつての日本でも同じ事があったわけだが、大抵の日本人は、それが良いことではないと感じつつも流されていったわけで、中国の人民の取った極端な行動を非難できるものではない。
・・で、「延安の娘」である。 今作られたこのドキュメンタリーは面白い事に日本人によって作られている。そういえば思い出したが、現在都市開発が進み建築ラッシュの北京で、昔ながらの伝統の街並み・家屋敷を記録に残し続ける日本人カメラマンの奮闘を聞いたことがある。かつて狂気の時代を体験後、高度成長時代を過ごし、現在に至る日本人だからこそ、今またその轍を踏もうとしている(かもしれない)中国に向けられる眼差しは他人事ではなく、記録せねばならぬ思いが湧いてくるのかもしれない。
◆「アール・デコ様式 朝香宮がみたパリ」@東京都庭園美術館 うううううう・・・うるわしい。 美しい。
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