Howdy from Australia
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2004年12月21日(火) 母帰国

木曜夜日本発、金曜朝シドニー着、その足で卒業式に行き、土曜はブルーマウンテンで山歩き、日曜はぶらぶら買い物をして、月曜には帰国…と、母にとっては目が回りそうな5日間だったに違いない。今回は父が一緒に来られなかったので、母だけ長期滞在するわけにもいかず、強行な日程となってしまった。また、私も多忙な時期に雇われた契約社員の身で長期休暇はちょっと無理。月曜日の朝、母を空港まで送って行った後、午後から出社しなくてはならなかった。

短い間でも母を独占できたので私にとっては大満足だった。これまでと違って自分のお財布から食事代が出せたのも、嬉しかった。「いいから、いいから、収入もあるんだし、私が出すから」と母に言うのも、なかなか気分がよかった(←正確には、母が帰国する前の晩に「いいから、取っておきなさい」と日本円を渡されてしまった)。普段外食をしないので、ここぞとばかりに、夜景が綺麗な和食レストランに行ったり、北京ダックを頼んだりした。

ただ、最後の晩は、「もう二度とこのお店には来ません」と断言できるぐらい最悪だった。

最初予定していた「ステーキ」はちょっと重たかったので、軽めの夕食にしようと近場の居酒屋風の和食レストランに行くことになった。黒板に書かれたメニューから、野菜の炒めものや揚げ出し豆腐、カキフライなどを頼む。ここまではよかったけれど、問題は、普通の白いご飯。まるで保温で炊いたかのように芯が残っていて、これをお店で出すのは非常識なんじゃないかと思ったほど。

しかも、その日は宴会が行われていて、年齢層の高い日本人グループなのに、狭い店内で大騒ぎをしていた。居酒屋と銘打っているのだから、もしかしたら、この騒音も店の売りなのかもしれない。会話もできないような騒々しさの中、苦笑いをしながら食事を済ませ、逃げるように店を後にした。何でこんな店を選んでしまったんだろう…。母とのシドニー最後の夜は台無しだった。

今回の旅行では母とも色々な話をしたが、母は私のシドニーでの生活がどうにも快適には思えないようだった。いわゆる日本人が夢描く「あこがれの海外生活」とはかけ離れているのだと思う。家賃も物価も税金も高いし、住環境のいい場所に一戸建てなど夢のまた夢…。

また、私が今住んでいる場所は、緑豊かで静か、治安も交通の便もよく、映画館も図書館も百貨店も徒歩圏内にあり、自分の中ではかなり評価が高いのだが、母にとっては、建物は古くて、部屋は狭い、最上階なのに階段しかなくて、玄関も靴箱も無い、しかも最寄の駅まで10分以上も歩く不便な場所にしか思えないらしい。つまり、母にオーストラリア生活の良さを実感してもらうには、私が出世するしかないらしい。

ちなみに、母が滞在中で一番嬉しそうだった瞬間は、果物売り場で真っ赤に色付いた巨大マンゴーを見つけたときだった。


yumiko |mail

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