Howdy from Australia
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母が日本から到着するのが卒業式当日というのがそもそも強引な日程だったのだが、空港まで迎えに行って母と再会を果たし、いったん市内のホテルに荷物を預けて、サーキュラーキーで朝食を済ませ、それから大学まで向かい、卒業式の会場に衣装をはおって飛び込むまで、何もかも計画通りだった。
教会にはパイプオルガンの音が響き渡り、厳かな雰囲気の中、式が始まる。指示に従って起立し、脇の通路を前進、一人一人名前を呼び上げられて壇上に上がり、証書を授与される。自分の番になって卒業証書を手渡された時は、やっと終ったんだ!と晴れ晴れとした気分になった。実際に最終論文を提出したのは6月であったが、式が終って初めて精神的にも区切りがつくというもの。卒業生の中には赤ちゃん連れのお母さんの姿もあり、彼女が証書を授与された時は拍手が一段と大きかった。
式の後は、教会裏手の中庭部分で学科のスタッフや指導教授、研究室の仲間たちと一緒に写真撮影。Mが気を利かせてシャンパンをボトルで買ってくれ、皆で乾杯した。朝から快晴だったので、冷たいシャンパンは格別だった。卒業祝いにとMから豪華な花束までもらう。実は、事前に「花束の一つもないと格好悪いから、駅前の花屋でいいからお願い!」と頼んでおいたのだ。あんまり期待はしていなかったのだけれど、シドニー五輪でメダル受賞者がもらっていたような、オーストラリア原産の草花を中心としたセンスのよい豪華な花束だったので、驚いた。
「結構、値段したよ。聞いて驚くよ。」
そ、その一言が無ければ、もうちょっと感動に浸れたものを!何かの折につけ「そういえば、卒業式の花束贈ったの誰よ?」と持ち出されそう。
それから、場所を変え、タウンホール駅近くのイタリア料理のお店で、総勢9名で昼食を共にした。平日だというのに、指導教授も友人も時間を割いて集まってくれて、とても嬉しかった。ここのコース料理は値段の割にボリュームがあって、味もなかなか。お世話になった方々を昼食に招待しよう!と思いついたときから、ここにしようと決めていたのだった。道が混んでいて到着が予約していた時間より大幅に遅れてしまったのだが、お店の人も感じがよくて助かった。
母は英語が全くできないけれど、それをカバーしてしまうほどの持ち前の明るさと度胸で、その場になじんでいた。私の指導教授とも言葉を超えて伝わる何かがあったようだ。家族、友人、指導教授、研究室の仲間たち。たくさんの人に支えられて、ここまで来たことを実感する一日だった。
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