Howdy from Australia
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製本した最終論文を大学提出用と指導教授用に4冊持っていかなければならなかったのだが、手で運ぶのはちょっと無理だったので、旅行用に使っていたキャスターを使うことにした。大きな駅にはエレベーターがあるので、それほど苦ではない。
学会発表と欧州家族旅行のため6週間も留守にしていた指導教授が大学に戻ってきたその日に最終論文を提出する運びとなったのも何かの縁かもしれない。約束した時間に指導教授を訪ねると、いつもの温かい笑顔で迎えてくれた。研究生活を振り返ってみると、失敗続きの実験に途方に暮れたことも何度もあったし、実験の参加者が予約当日になっても病院に姿を見せず惨めな思いをしながら帰路についたことも何度となくあった。論文を書いているときはいつも悩み、本当に終る日が来るのかと半信半疑だった。研究生活は決して平坦な道ではなかったけれど、どんな時でも支えになってくれ、私の話を親身に聞いてくれた指導教授の存在は本当に心強く有難かった。指導教授にこれまでの感謝の気持ちとお礼を述べていると、本当に終わったんだなぁ…とちょっぴり切なくなった。「私の方こそあなたのような学生を持つことができて感謝しているのよ。」と言われたときは、さすがにくすぐったいような、照れくさいような気分だった。その後、指導教授と共に、学科長や同じ学科の講師陣に挨拶をして回った。
最終論文を学事部に提出し、見慣れたキャンパスを後にする。何だか、すがすがしいような晴れやかな気分だった。
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