嗚呼!米国駐在員。
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2006年04月12日(水) 携帯電話と日本の無駄

日本では全ての人が携帯電話を持っていた。当然か。
会社(仕事)用とプライベート用と2機持っている人もいた。携帯画面でナイター中継を見る人、息子が遊んでいる動画を見せてくれた人もいる。いつの間にそんなに機能が進歩したのだろうか。

夜に食事会に招待されたのだが、待ち合わせ時間に間に合いそうもないのに同行したみんなはのんびりしている。約束の午後7時になって、平然と携帯を取り出す。「今まだ神田。後15分くらいかな。先に行って始めててよ。」 便利だけど緊張感がないよなあ。いつでもどこでも連絡が取れる安心感という事なのだろうけど。

そんな中、携帯を持っていない自分は社会からはみ出してしまったはぐれもののような錯覚になった。
友人や取引先の人から、「携帯持ってないなんてどういうこと?アメリカの携帯番号にかけたけど繋がらなかったよ。」と、まるで悪い事をしたかのように非難された訳だが、たまには携帯のない生活というのも悪くない。待ち合わせ時間は絶対守ろうと思うし、相手だってこちらに携帯が無いと知るとキッチリと時間通りに来てくれる。

ちなみにアメリカの携帯は完全に「話す為の機械」。
電話でインターネットなどやっている人は見たことないし、メールやカメラも出始めたところ。でもこれといって必要性も感じない。おまけに通信料金はバカ高いから全く普及していない。そんな社会だから、なければないで何とかなる。それでも、中国ではどの地域でも問題なくそのまま使用出来たのは確かに便利だった。通信方式が異なる日本では全く使えない。

日本で見たような最新の携帯なんて無くても、アメリカでは全く問題なく生活出来るのだが、身近にあるとそれはそれでどうしても気になってしまい手に入れたくなるのだろう。

携帯だけでなく、確かに日本はそんな「軽い誘惑」が多すぎる。街中にあふれている気がする。
街を歩けばあちこちにドラッグストアがある。賑わっている店内に入ると、「最近肌荒れが気になる人に」「飲み会が続いて疲れ気味のあなたに」という誘い文句と共に、ビタミン剤やらドリンクやら手に取りやすいように置かれている。値段も手ごろだし、それを手にする事で何だか健康に貢献している気分になってしまい、ついつい手にとって買ってしまう。こうした商品とは無縁のアメリカで十分健康に生活出来ているのに、目の前にあると何となく買ってしまうのである。

こうして見ると、日本も便利というべきか無駄が多いというべきか・・。



Kyosuke